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ステージ4肝臓がん闘病中もリングで戦った格闘家

24歳の時に肝臓がんステージ4の告知を受けた格闘家の高須 将大(たかす しょうた)さん。がんと診断された時の心境や、現在の病気の状況について話を伺いました。

インタビュイー
格闘家 高須 将大さん
インタビュアー
柳澤 昭浩
ライター
西塚 真帆

目次

24歳でステージ4の肝臓がんに罹患

柳澤:はじめに簡単に自己紹介をお願いします。

高須さん:プロ格闘家として活動しつつ、パーソナルスタジオも運営しています。24歳の時にステージ4の肝臓がんになりましたが、現在は治療をすべて終えて経過観察中です。がん告知から4年が経ち、今年29歳になります。

柳澤:がんに罹患する前の高須さんについて教えていただけますか?

高須さん:茨城県稲敷市で生まれ育ち、小学校から高校まで野球少年でした。高校卒業後に就職し、何か打ち込めるものがほしいと思い、格闘技を始めました。

柳澤:なぜ格闘技を始めようと思ったのですか?

高須さん:最初は、スケートボードBMX(バイシクルモトクロス)をやってみましたが、一番しっくり来たのが格闘技でした。

柳澤:格闘技の種類もたくさんあると思いますが、その中でMMA(Mixed Martial Arts:総合格闘技)を選んだきっかけは?

高須さん:格闘技についてはあまり詳しくありませんでした。MMAをやりたいと思って格闘技を始めたわけではないのですが、たまたま行き始めた道場がブラジリアン柔術などの寝技を主体にしている道場でした。そこでMMAを教えてもらったことがきっかけで、始めることに決めました。

柳澤:仕事をしながら格闘技もやっていたわけですね。どんなきっかけでがんと診断されたのですか?

高須さん:がんと診断される前は、自覚症状はほとんどありませんでした。今思えば、少し疲れやすさを感じていたかなという程度でした。試合に向けて格闘技の練習中にお腹を蹴られたのですが、仕事に支障をきたすくらい痛みがあり、なかなか痛みが引かなかったので、会社にある診療所に行かせてもらって、エコー検査をしました。その時に腹部に腫瘤があると。

柳澤:格闘技をやっていたから見つかったんですね。

高須さん:そうなんです。10cm以上の腫瘤がありました。その場でがんだとは言われませんでしたが、影があると言われて、次の日に大きな病院で調べてもらいました。

柳澤:告知までの経緯は?

高須さん:最初は、良性か悪性かわからないけど、肝臓内に大きな腫瘤があり危険な状態だと言われたので、開腹手術をしました。手術の2週間後の病理診断の結果肝臓がんだと告知されました。

柳澤:その時ステージの告知もされましたか?

高須さん:その時はまだステージの告知はされませんでした。開腹手術をしてから1カ月半~2カ月後に再発をして、肝臓内に腫瘍が5~7か所ができました。セカンドオピニオンで治療を開始しましたが、その時にステージ4と告げられました。

柳澤:開腹手術をした病院と、今治療を受けている病院は違うのですね?

高須さん:はい。今通っている病院はセカンドオピニオンで、最初に開腹手術を行った病院とは違う病院です。セカンドオピニオンを探して、そこで治療をしたいと思ったので、現在も通院しています。

開腹手術で肝臓の半分以上を摘出

柳澤:開腹手術の際、肝臓をどのくらい取ったのですか?

高須さん:肝臓を半分以上は取りました。

柳澤:大きな手術になったんですね。

高須さん:はい。お腹を縦と横に大きく切りました。

柳澤:手術を受ける時の心境はどうでしたか?

高須さん:お腹を開くということ自体が恐怖でした。今まで全身麻酔もしたことがなかったので。でも、いつの間にか眠っていた感じです。1回目の開腹手術の時は、目覚めた瞬間に地獄のような痛みと悪寒などの症状が一度に襲ってきて、とても辛い思いをしました。

柳澤:手術直後、とても辛い思いをしたのですね。開腹手術後、診断結果が出るまで、不安でしたか?

高須さん:心のどこかで、自分ががんになるわけないと思っていました。がんになるようなこともしていないし良性の腫瘍だろうと思っていましたが、悪性と診断されてショックでした。

柳澤:がんになるようなことをしていなかったというのは、がんになった人の多くの人が思うことのようです。がんの告知はどのような状況でしたか?

高須さん:両親と一緒に診察室に呼ばれました。病理の結果が出て、先生に、肝細胞がんだと。

治療後の壮絶な副作用発現

柳澤:1回目の開腹手術は地元の病院で行い、がんと告知を受けてからセカンドオピニオン治療、その後は、どのような治療でしたか??

高須さん:肝臓内に複数の腫瘍があって、肺にも2か所転移している状態だったので、肝動脈塞栓術TAE)を行いました。僕の場合、肝動脈塞栓術(TAE)は、筋肉が邪魔をしていて、なかなかカテーテルが入らなかったので、鼠径部からではなく腕からカテーテルを入れて行いました。抗がん剤治療も行い、ネクサバール(一般名:ソラフェニブ)という飲み薬を使いました。

柳澤:その時の治療はどうでしたか?

高須さん:肝動脈塞栓術(TAE)は、腫瘍に直接薬を投与して7cm程の大きさの腫瘍を殺していたので、その副作用で高熱が出ました。ネクサバールは、アレルギー反応を起こしてしまい、顔から足先まで湿疹が出て、熱も40度近く出ました。抗がん剤の服用をやめてしまったら、まだ薬を投与していない部分の肺の腫瘍が成長するのではないかという不安があって、飲み続けた結果、副作用がひどくなりました。先生に副作用のことを話したら、すぐに休薬するように言われました。

柳澤:副作用がひどくなって休薬するのは不安だったでしょうね。その時点で病気の状態はどうだったんですか?

高須さん:肝動脈塞栓術(TAE)と肝動注化学療法は順調でしたが、肺に2か所再発した小さい腫瘍は、変わらず小さいままでした。

柳澤:これまでの治療にアレルギー反応を起こしたとなると、その後の治療は変わりましたか?

高須さん:5カ月間の間に2週間の入院を4回して、肝臓にある腫瘍に薬が全部入っている状態で様子を見ることになりました。その後、体調が落ち着いていたら、肝臓にある腫瘍と肺の腫瘍を手術で取り除くことになりました。手術を受けるまでに、試合をして、試合の翌月に肺の腫瘍を焼くラジオ波の治療をしました。更に3カ月後、2回目の開腹手術を行いました。肝臓にある腫瘍に薬が入って腫瘍は死んでいる状態でしたが、僕の年齢を考えて、まだ若いから取り除いたほうがいいと言われ、2回目の開腹手術をしました。

家族の支えで乗り越えられた闘病生活

柳澤:高須さんが、がんと告げられた時、どんなお気持ちでしたか?

高須さん:悪性腫瘍だと再発する可能性があるので、一生がんと付き合っていくしかないと思い、不安になりました。とてもショックでしたが、再発しなければ大丈夫だろうという気持ちも少しはありました。

柳澤:がんの告知を受けて、頭の中が真っ白になったという話をよく聞きますが、そういう状況ではなかったですか?

高須さん:頭の中が真っ白になるというよりも、ショックのほうが大きかったです。

柳澤:ご家族も心配していたのではないですか?

高須さん:闘病を通して、ずっと心配してくれていました。両親は、セカンドオピニオンを探している時も、毎回病院についてきてくれました。

柳澤:きっと凄く心配だったんだと思います。ご両親のご職業は?

高須さん:父は、救急救命士です。自分のために有給を使って休みを取って、病院に付き添ってくれました。兄と姉もサポートしてくれました。姉は理学療法士なのですが、現在通院しているセカンドオピニオンの順天堂大学病院と繋げてくれました。兄も入院中に会いに来てくれました。入院中は漫画を持ってきてくれたり、退院後も旅行に連れて行ってくれたり、ご飯をご馳走してくれたりしました。

柳澤:闘病中、家族の存在は大きかったのですね。

高須さん:家族の存在が支えになっていました。末っ子の僕が病気になってしまって、家族みんなに心配かけたなと感じました。

闘病中も好きなことを続けたいという思いからリングへ

柳澤:試合は今まで何試合しましたか?

高須さん:今まで11試合しました。がんと告知を受けた後に、9試合、闘病中は、3試合しました。

柳澤:闘病中にも試合をしたとは凄いことですね。格闘技を続けられたモチベーションは何ですか?闘病中になぜ試合をしようと思ったのか教えてください。

高須さん:今までは病気を治してから好きなことをやるのが当たり前だと思っていましたが、闘病中でも自分の好きなことをできる限りやっていきたいという気持ちがありました。闘病中に試合をやることに意味があると思い、試合に出ていました。

柳澤:がんで闘病中であっても、格闘家として活動している自分を知ってもらおうと。

高須さん:そうなんです。同じような状況の人の励みになったらいいなと思い、闘病中も試合に出ていました。

思ってもいなかった2度目の再発から現在

柳澤:2回目の再発の時は、どのような心境でしたか?

高須さん:1回目の再発が闘病を通して1番ショックだったので、2回目は、またかという気持ちでした。

柳澤:2回目の再発の時は治療を変えましたか?

高須さん:1回目の再発の時と同じ治療でした。先に肺に2か所再発し、すぐにラジオ波で焼きました。その後入院先で再度調べたところ肝臓にも再発していることが分かりました。ネクサバールはアレルギー反応を起こして飲めないので、代わりにレンビマを飲んでいました。

柳澤:2020年ころから、今も経過観察中ですか?

高須さん:そうです。長かったです。2020年頃からひと段落し、現在も経過観察中です。

柳澤:高須さんの世代、いわゆるAYA世代(15歳~39歳)の方は、就労のことなど社会的な問題などがあると思うのですが、高須さんの場合、その点はどうでしたか?

高須さん:当時、務めていた会社は福利厚生がしっかりしていて、闘病中も基本給の6割もらえていたので、心配はありませんでした。会社の理解もありましたし、幸いなことに、アヒルの(笑)がん保険に入っていたので、治療費や生活費に困ることはありませんでした。ただ、当時からパーソナルトレーナーになりたいという夢がありましたが、がんになって一度は、夢を捨てました。

柳澤:でも、今は夢のひとつパーソナルジムも開業しましたね。

高須さん:はい。現在は格闘家としても活動しつつ、今年7月に念願だった自身のパーソナルスタジオをオープンし、そこで働いています。

A-studio Cliff
秋葉原駅徒歩5分、岩本町駅徒歩2分
あなたのスタイルに合ったメニュー提案で「理想のボディー」へ
https://a-studio-cliff.com/

高須さんは、9月10日(土」に開催されるRemember Girl’s Power!! 2022に登壇予定です。

Remember Girl’s Power!! 2022
Day1:9月3日(金) 会場:池袋西口公園野外劇場グローバルリングシアター
Day2:9月4日(日) 会場:池袋西口公園野外劇場グローバルリングシアター
Day3:9月9日(金) 会場:サンシャインシティ 噴水広場
Day4:9月10日(土)会場:サンシャインシティ 噴水広場
当日、生配信も行いますので、ぜひご覧ください。
https://oncolo.jp/rgp2022/

<インタビュー後記>
ステージ4の肝細胞がんとの診断から2度の再発。過酷な人生を受け入れる29歳の青年。自身の夢を実現させようとする姿に、無為に人生を過ごしてきた自分が恥ずかしくなる思いだった。それだけではなく、自身の体験から、多くの人を勇気づけたいとの思いには頭が下がる。
この7月には、念願だったパーソナルジムを開業し、私事ではあるが、私も通い始めたところだ。前述の通り、9月に豊島区で共催するRemember Girl’s Power!! 2022の「AYA世代のがん」の啓発セッションに登壇して頂く予定。
格闘家としての高須 将大、がんサバイバーとしての高須 将大から目が離せない。

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