認定NPO法人 希望の会(スキルス胃がん患者・家族会)の理事長、轟(とどろき)浩美さんは、今期のがん対策推進協議会の委員も務めています。患者会を立ち上げたご主人が亡くなったあとも、悩みながら活動を続けてきたその軌跡と、これからの活動の展望を伺いました。
目次
希望の会のあゆみ
川上:はじめに、希望の会について簡単に教えてください。
轟:希望の会の活動には3つの柱があります。1つ目は情報発信です。夫は、スキルス胃がんを理解しようと、いろいろ調べましたが、予後の悪いがんだということ以外の情報は少なく、自分が集めた情報を、自分が亡くなったあとにも誰かのために役立てたい、と、スキルス胃がんの冊子を作成しました。また、勉強会・セミナーも定期的に開催しています。
2つ目は交流会の実施です。私たちは、告知から半年くらいはずっと引きこもっていて、とても苦しかったんです。暗中模索のなかで、私が、エビデンスのない民間療法に傾倒してしまったこともありました。患者も家族も苦しんでいる。それを共有したいと思い、仲間同士が顔をあわせて分かち合える機会をつくりたい、と、交流会を開催しました。
交流会をしてみたところ、意外にもAYA世代の人が多く、小さなお子さんがいるお母さんなどは出てくるのが難しいこともあることがわかりました。一番仲間に会うべき人たちが孤立しているのに気づき、今は、待っているだけではなく、リレーフォーライフなどを通して、仲間に会いづらい人、情報が届きにくいところに、私たちが出かけていくようにしています。
3つ目の柱はアドボカシーです。患者家族の声を届けることによって治療が進歩すること、研究が進むこと、制度がよりよくなることに貢献していきたいと思っています。ただし、これは、会として、というよりも自分自身としての活動と位置づけています。
川上:希望の会を立ち上げられたご主人は、2016年の8月にお亡くなりになりましたよね。ご遺族としても辛かったと思いますが、浩美さんが会を引き継いで、続けていこうと思われたのはなぜですか?
轟:立ち上げから副理事長という立場で、理事長である夫を支えながら動く中で、ほかの患者さんやご家族の方々との出会いを通して自分自身の中に活動への思いが育ってきました。夫が亡くなったときに、活動を続けていこうと思ったのは、人のため、というよりむしろ、自分のためだったかもしれません。動かずにはいられなかったのです。
夫が亡くなった次の日に、自分が引き継いで理事長になる、と宣言しました。夫ががんになったことで、教員の仕事を辞め、ずっと後ろ向きの気持ちでいましたが、夫が亡くなる3ヶ月前に教員免許の更新をやめたんです。そのときに退路を断ち、活動を続けていくマインドに舵を切り、覚悟をしたのだと思います。
川上:3つ目の柱である、アドボカシー活動に関して、お尋ねしたいのですが、患者の家族、遺族、というお立場から、どのように第一歩を踏み出されたのですか?
轟:希望の会を立ち上げた2015年、2ヶ月後に、全国がん患者会連合会(以下、全がん連)が設立され、希望の会も所属することになりました。ちょうど国が、がん対策基本法の改正案を検討していた時期で、全がん連はアドボカシー活動を推進していました。そのこともあり、私もアドボカシー活動に少しずつ関わることになりました。
今から思うと、夫は、アドボカシー活動を望んでいなかったように思います。それよりも患者さんと過ごす時間をもっと大切にした方が良いのでは、と考えていたようでした。一方で、私は、がん対策推進基本計画が動く現場の空気に触れ、がん患者や家族を支えるためには、直接的な支援だけでなく、治療法が良くなるための研究の推進や、よりよい制度の実現などの社会的な視点もあわせて大切なのだということを肌で感じていました。
夫が難治性のがんになったことは、とても悲しいし、悔しいことでしたが、自分ではどうすることもできず、治ってほしいとの願いも叶いません。変えられることがあるならば、治療法が進歩することを後押しすることかもしれない、と、アドボカシーの現場で感じました。現場にいて触れたからこそ、わかったことでした。
新たなステージへ
川上:アドボカシーに足を踏み入れ、希望の会の活動も新たなステージに進んだのですね。
轟:夫が亡くなった時は、がん対策基本法改正案の中には、難治・希少・小児という枠がまだ入っていませんでした。また同時に、患者申出療養制度についても、同年4月に施行されてから、具体的な事例が出ておらず、実態がないものになりつつありました。今から思えば、動かずにはいられなかった。私は、夫が亡くなって1週間も経たずに、議員会館に通っていました。
そんな状況の私が、暑い夏、議員さんたちも地元に帰って秘書さんだけのところに、毎日のように足を運び、顔を出していったことで、少しずつ、私たちの話に耳を傾けていただけるようになりました。最終的に、9月の国会で、前述した「難治」・「希少」・「小児がん」の文言が入ることが決まったのも、議員さんが動いてくれたからだと考えています。
患者申し出療養制度についても、9月に会議が開かれ、スキルス胃がんの治療の候補である腹腔内投与が最初の事例として認められるに至るなど、同年12月に、がん対策基本法の改正案が閣議決定するまで、迷う暇もなく進み続けました。動くことで、私は自分を保っていたのかもしれません。
川上:ご主人を亡くされてから、いろいろなタイミングが轟さんの背中を押し続け、無我夢中で進んだ後を振り返ったらアドボカシーの道ができていた、という感じですね。ご主人が亡くなられてから、希望の会はどのように変わりましたか?
轟:夫が亡くなったのが2016年、その年末にがん対策基本法の改正案が閣議決定。まさに激動のなかで、希望の会の体制も大きく変わりました。会の立ち上げたときは、夫と私の高校時代の友人達が、理事・事務局メンバーとして運営に携わってくれ、スキルス胃がんの冊子を作成するための資金をチャリティライブで集めてくれるなど、とても力になってくれました。2017年4月に、認定NPO法人を取得できたのも、彼らのおかげです。
一方で、活動が広がるにつれ、患者さん、家族、遺族の思いを紡ぎ、未来に繋ぐ使命を果たしていく体制を考える必要がでてきました。その中で、当事者たちの強い思いを活動に反映させていく体制を作るためには、理事メンバーを患者・家族・遺族で固めるべきだと思い、2017年3月に役員の総入れ替えを行い、新体制にしました。
もちろん、体制の変更には反対もありましたし、批判も受けました。それで離れていく人もいて、私も辛かったのですが、今、理事がそれぞれの経験を活かし、地道で温かい活動を作り上げてくれているのを感じ、あの時の決断は必要だったのだと思っています。
後編へ続く
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●プロフィール:
轟 浩美さん
スキルス胃がん患者・家族会 認定NPO法人希望の会 理事長
厚生労働省がん対策推進協議会委員・国立がん研究センター患者家族の声を聴く会委員
国立がん研究センター市民パネル委員・日本医
科大学倫理委員会委員・日本医科大学中央倫理委員会委員
認定NPO法人 希望の会 スキルス胃がん患者・家族会
スキルス胃がんステージ4の患者であった浩美さんの夫、轟 哲也氏が2015年に立ち上げた患者会。情報に乏しく、治療の確立されていないスキルス胃がんのための情報収集、発信、患者家族遺族支援、難治性がん対策のためのアドボカシー活動を行っている。2017年4月、認定NPO法人取得。
川上 祥子
1992年早稲田大学第一文学部卒業。国際線客室乗務員として4年間の勤務後、歯科医院立ち上げを経験し医療に関心を持つ。その後、東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻入学、卒業。看護学生時代にがん体験者の講演を聴き、社会でがんと向き合う人々への支援の必要性を実感して以来、キャンサーネットジャパンに関わり、臨床を経て2007年1月、キャンサーネットジャパン専任理事となり、2015年4月ー2017年3月まで事務局長を務める。2017年10月より、メディカル・モバイル・コミュニケーションズ合同会社 共同代表。臨床は東京大学附属病院放射線科病棟、都内クリニック乳腺化学療法外来等を経験。近畿大学医学部非常勤講師、頭頸部癌診療ガイドライン外部評価委員、大腸癌研究会倫理委員会・利益相反委員会委員。