今回の「オンコロな人」は、以前「オンコロな人」に登場した胃がん体験者の高橋和奈(たかはし かずな)がお届けします。
目次
■16歳で小児がんの一種「未分化胚細胞腫」に
高橋:こんにちは。胃がん体験者の高橋和奈です。今回は、AYA世代と呼ばれる15~30歳の若い年代のがん体験者へのインタビューです。まずは自己紹介をお願いします。
濱中:濱中 真帆(はまなか まほ)です。現在23歳で、2016年4月から専門学校へ通うことになっています。
高橋:濱中さんは、私と同じ若年性がん体験者ということですが、病気の事について教えていただけますか?
濱中:私は、未分化胚細胞腫という小児がんの一種で、卵巣が原発臓器でした。
※未分化胚細胞腫は卵巣がんの一種で、卵巣の胚細胞のがん(卵巣胚細胞腫瘍)の病型の1つです。
■「花粉症かも?」としか思ってなかった
高橋:なぜ未分化胚細胞腫が見つかったのか、経緯を教えてください。
濱中:最初は、息を吸うだけで咳が出て、花粉症なのかな?と思って病院に行きました。採血をして、レントゲンを撮ってみると、肺の右側のほとんどが真っ白でした。すぐに大きい病院を紹介され、「明日から入院してください。」と言われました。入院し、検査をしていくうちに卵巣が大きくなりすぎていることがわかりました。
高橋:その時はどんな気持ちでしたか?
濱中:1度も入院をしたことが無い私は、自分が明日から入院ということも、私の体に何が起きているのかも、さっぱりわからないまま、言われる通りに検査をこなしていくしかありませんでした。
■がんに対してマイナスのイメージはなかった
高橋:がんの告知を受けた時はどんなことを思いましたか?
濱中:私自身、当時はがんについてあまり知らず、「お年寄りがなる病気」ぐらいにしか思っていませんでした。だから、がんに対してのマイナスのイメージは持っていませんでした。
高橋:ご家族も一緒に告知を受けましたか?
濱中:父と母は、私より一足先に告知されていたことを後から知りました。母に「私のせい」と思わせてしまったことは、今まで生きてきた中で一番後悔していることです。
■ご飯も食べられたし、ゲームも出来ていた
高橋:未分化胚細胞腫は、どのような治療をしましたか?
濱中:私の場合は、手術と抗がん剤でした。初めての手術で緊張するかと思いきや、手術室に入る前に眼鏡を外してしまっていたので何も見えず、ぼんやりと担当の先生の顔が見えたことしか覚えていません。手術が終わって目を覚ました時、一番最初に見えたのは、私の手を握る祖父の手でした。
高橋: その後の抗がん剤治療はどうでしたか?
濱中:手術が終わって1週間後あたりから、抗がん剤を始めました。抗がん剤について知らなかった私は「毒を以って毒を制す」と主治医の先生から言われていたので最初はドキドキしていましたが、食べたい時にご飯やお菓子を食べることは出来ましたし、点滴が止まらないように気を付けながら本を読んでいたり、ゲームをして遊んだりしていました。
抗がん剤中は、「副作用でしんどい」と思ったことはありませんでした。髪が抜けることは「髪はまた伸びるから大丈夫だよ。」と言われていたこともあり、あまりショックではありませんでした。吐き気も薬が効いているのかあまりなく、だるいと思う日はあっても、具合が悪くて寝込む、という日はありませんでした。これは、主治医の先生にかなり驚かれました(笑)。
■先生は知らなかった
高橋:経済的な面ではどのようなことがありましたか?
濱中:私の母が、病気の子どもへの医療費助成があるはず、と行政からの支援の一つである「小児慢性疾患医療費助成制度」を見つけてきてくれました。私の場合は3割負担の部分を医療証で賄うことが出来たので、お金の心配をすることなく治療を受けることが出来ました。後日、保険会社から来た医療費の明細を見て、金額の高さにとてもびっくりしました。
この医療費助成制度は、18歳の誕生日を迎えるまでに申請しなければなりませんが、引き続き治療が必要と認められる場合には20歳の誕生日を迎えるまで利用できます。しかし、私の主治医の先生はこの制度を知りませんでした。私が入院していたのが小児科ではなく、腫瘍内科であったことも要因の一つかもしれませんが・・・。
■運命だと彼女は言っていた
高橋:入院中に嬉しかった出来事は何かありましたか?
濱中:本当にたまたまなのですが、同い年の子が同じ病棟に入院してきたことです。高校生で大人と同じ病棟に入院した時点で、年齢の近い人はいないとわかってはいたのですが、やはり寂しいという思いがありましたので。
高橋: どんなことをして過ごしていましたか?
濱中:同い年の子は白血病で、クリーンルームがいくつかあるエリアにその子の病室がありました。看護師さんや先生が気を使ってくれて、私も同じクリーンルームのエリアに病室が移りました。それがきっかけで、顔を合わせるようになり、お互いの親も一緒に1,000ピースもあるパズルを一緒に組み立てて遊んでいました。
その子とは、退院した後も一緒にディズニーシーに行ったり、池袋で遊んだり、ご飯を食べに行ったりしました。高校生活という短い期間の中で、病院という変わった場所で出会ったことを、運命だと彼女は言っていました。残念ながらその子は亡くなってしまいましたが、彼女に感謝していますし、出会うことが出来て良かったと思っています。
■治るモノも治らなくなってしまうのではないか
高橋:国の助成制度を利用していた濱中さんですが、何か国や医療に対してご意見はありますか?
濱中:私は今、女性ホルモンが足りていないので補充するためにピルを飲んでいます。私が飲んでいるピルは経口避妊薬として、医師の処方により販売されているものです。ピルのほとんどが保険適用外で、ひと月分が大体2,000~3,000円です。私は治療として、このピルを飲み続けてきましたが、これから先、何十年もピルを飲み続けなければならないかもしれません。
保険適用のお薬と、保険適用外のお薬、その二つを提示された時、医学的に必要と判断されたお薬が、保険適用の方ならいいのですが、もし保険適用外のお薬を提示された場合、自己負担がいくらになるのか、それが3ヶ月、半年、1年、と長くなれば長くなるほど膨大な金額がかかることになります。そのせいで治療を断念することになってしまっては、治るモノも治らなくなってしまうのではないか、と私は不安になります。「医学的に必要だと判断された場合に保険適用になる」、もしくは、「医学的に必要とされた人への補助金」といったような、あきらめることなく治療へ望める体制を整えてほしいと思います。
■今まさにがんと闘う仲間たちへ
高橋:治療を終えて6年以上経つ濱中さんですが、治療が終わってから出来た目標はありますか?
濱中:治療が終わっても体力が戻らず引きこもっていた時に、ネット上でライブを見ました。その時に映っていたのは、小さい頃からずっと歌を聞いていた影山ヒロノブさんでした。パワフルに歌うその姿を、気がつけば何度も何度も見ていました。いつかライブ会場で歌を聞きたい、そう思うようになってから7か月後、私は影山さんにお会いすることが出来ました。
樋口宗孝さんという偉大なドラマーが、がんでこの世を去り、その方の追悼ライブで私は影山さんにファンだと伝えました。泣きそうになりながら伝えた思いに、ハグで返してもらったことは今でも忘れません。その時の感動を、今まさにがんと闘う仲間達へとつないでいきたい、その思いから今は「樋口宗孝がん研究基金」のがん体験者スタッフをしています。現在はライブ会場などで募金活動をさせていただいていますが、私の目標は、「若くしてがんになってもあきらめることなく、前を向いて歩いていくことのできる社会の実現」です。
★樋口宗孝がん研究基金:http://www.m2cc.co.jp/mhf4car/
■がんになって良かった
高橋:最後に、このインタビューを読んでくださっている方に伝えたいことはありますか?
濱中:以前、講演をさせてもらった時にも言ったのですが、私はがんになって良かったと思っています。がんになり、大切なものを失い、同世代と同じように楽しい高校生活を送ることが出来なかった苦い思い出もあります。しかし、留年や浪人をすることなく大学まで卒業し、学生時代に苦労した経験から若者たちを支援したいと社会福祉士の資格を取ろうという目標も出来ました。がんにならなければやろうともしなかったこともたくさんやってきました。だからこそ、今人生が一番楽しいと感じています。
がんになったことは、つらい経験かもしれません。人によっては私以上につらい経験をした人もたくさんいます。見た目が普通の人と変わらない故に病人だとわかってもらえなかったこともありました。たくさん悩んで、たくさん泣いて、でも最後に笑えるお手伝いをこれからしていきたいと思います。
高橋:今日はお忙しい中ご協力ありがとうございました。
■インタビュー後記
真帆ちゃんとは、サバイバー仲間で、何年も前から知っていますが、真帆ちゃんの体験談を、深く聞いたことがなかったので、今回お話を聞かせてもらえて、とても勉強になりました。私は、未分化杯細胞腫についての知識がなかったので、最初は、わからないままインタビューが進んだのですが、インタビューの途中で卵巣が原発巣だったということがわかり、深く突っ込んで質問してもいいのかな?と躊躇したのですが、真帆ちゃんは、答えにくいであろう質問にも答えてくれました。
やはり、女性特有のがんは、「男性に言いづらい」と言っていたのが印象的でした。そして、これからまわりの友達が結婚、出産ラッシュを迎えたら、「自分は今後どうなっちゃうのかなー?」という不安も打ち明けてくれました。私たちのように、若くしてがんを罹患した人にとっては、これから先の長い人生、まだまだたくさんのイベントが待っています。そして、人生が長い分、後遺症と付き合っていく時間も長くなるかと思います。
それでも、がんになって良かったと言えるのは、「人との出会い」なのではないかなと、改めて感じました。支えてくださる方々に感謝ですね!
高橋 和奈
AYA世代とは?
AYAとは、Adolescent and young Adult(アドレッセント アンド ヤング アダルト)の略であり、「思春期と若年成人」という意味です。AYA世代とは、一般的に15歳~29歳(欧米では39歳)を指します。AYA世代のがん患者は、治療中やその後の生活の中で、就学、就職、就労、恋愛、結婚、出産など人生のターニングポイントとなる様々な出来事と向き合う機会が想定され、大人・高齢のがん患者とは異なるAYA世代特有の問題があるとされています。