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【急性骨髄性白血病患者家族】大好きな弟へ届けみぃみのレモネード・スタンド

埼玉県在住の谷川ほずみさん(小3・8歳)は、2年前の冬、最愛の弟・瑞騎(みずき)くん(当時3歳)を急性骨髄性白血病で亡くしました。
瑞騎くんの闘病を、近くで見守っていたほずみさんは、病気が治る薬ができる願いを込めて自主的に寄付活動を始めました。夏祭り会場の一角で開催された、ほずみさんの活動をオンコロスタッフ中島が取材しました。

目次

突然の病気の宣告

中島:弟さんの瑞騎くんの病気について教えてください。

谷川:ある朝起きたら、家にはおばあちゃんが来ていて、「お父さんたちはどうしたの?」と聞いたら、「みぃみ(瑞騎くんの愛称)が、夜中具合が悪くなって、お父さんとお母さんが病院に連れていったのよ」と言われました。

最初は、風邪でもひいて熱が高くなったのかな?と思っていましたが、検査をしたら『急性骨髄性白血病』という病気だということがわかりました。でも、病気の名前を聞いても、私にはどれほど悪い病気なのか、わかりませんでした。


母 谷川 真理子さんが自費出版された『急性骨髄性白血病と闘った”みぃみ”の記録』

中島:みぃみくんは、その後、入院をしたのですか。

谷川:それから3カ月ぐらい病棟からでることができませんでした。私は、週に1回ぐらいのペースでお見舞いに行きました。

中島:みぃみくんの病気はどんな病気か、調べましたか。

谷川:はい、お母さんに聞いたりして少しずつですが理解するようになりました。

みぃみは入院して間もなく、抗がん剤治療を始めたので髪の毛が抜けてしまいましたが、病棟の保育士さんや入院しているお友達と元気に遊んでいると聞きました。子どもは病棟に入る事ができないので、私がお見舞いに行くとガラス越しで顔を合わせ、お話をしたりすることが楽しみでした。


『急性骨髄性白血病と闘った”みぃみ”の記録』より

中島:みぃみくんの体調は、入院中どのように変わっていったのでしょう。

谷川:抗がん剤の治療だけでは治らなかったので、移植が必要とお医者さんからお話しがあったそうです。お父さん、お母さん、私の3人で、骨髄ドナーの検査をしました。

検査の結果、私たち家族は全員みぃみに提供できるドナー候補になることがわかりました。みぃみと一番型が近いお母さんがドナーとなりました。

私はいまだに「骨髄ドナー」については、どのような人がマッチするのか、その条件は詳しくはわからないのですが、これでみぃみは元気になるんだ、と信じていました。

中島:みぃみくんは、結果元気になりましたか。

谷川:お母さんの細胞は、みぃみの身体に残っておらず、拒絶した状態だったそうです。でもみぃみは、病室のベッドの上でとても元気だったようです。みぃみは無菌室にいたので、テレビ電話かお母さんが撮ってくれたビデオでしか、私は会えませんでした。

中島:みぃみくんは、病室で3歳のお誕生日を迎えましたね。

谷川:本や電車の模型やブロックなど、たくさんのプレゼントが届いて、ニコニコしていたようです。

中島:みぃみくんは、つらい治療だったと思います。食欲はあったのでしょうか。

谷川:副作用でほとんど食べられないお友達が多いのに、出された食事をみぃみは半分ぐらいは食べてくれていたと聞きました。頑張り屋さんだったと思います。

自分から「やりたい」と行動へ

中島:寄付活動を始めたのはいつからですか。

谷川:みぃみが亡くなってから半年ぐらい後からです。まだみぃみが生きていたころ、通っている英語教室でアメリカでは子どもがレモネードを売ってお小遣いを稼ぐ話を先生から教えてもらい、「アレックスのレモネード・スタンド」*という活動をお母さんから教えてもらいました。

みぃみと同じ、重い病気のがんにかかった女の子が、自宅の庭でレモネードを売り、その売り上げを病気の研究費に寄付するという活動です。

レモネードだったら私でも作って販売できるかもしれない、という想いで、今回で9回目になります。大好きな弟の名前を取って『みぃみのレモネード・スタンド』と付けました。

中島:どんな気持ちで活動をしていますか。

谷川:みぃみは、合計3回のドナー骨髄移植をしましたが、残念ながら病気はよくならず、最期は、「つらいな。病院のお友達と会いたいな。」と言い残し、お母さんの腕の中で息を引き取りました。
私はいつか、がんという病気が治ってほしいし、がんに勝てる薬が将来できてほしいです。そのために、私の寄付するお金が、役にたって欲しいと思います。


『みぃみのレモネード・スタンド』の様子。向かって左が谷川ほずみさん

中島:これから活動を広げる計画はありますか。

谷川:レモネードを販売しているとわかるのですが、レモンの酸っぱい味が苦手という人も少なくありません。ドリンクの種類は、レモネードだけにこだわる必要はないんじゃないかな、と思い始めています。イチゴ味やリンゴ味など、他の味のドリンクも販売すれば、買ってくれる人も、いろいろな味が楽しめていいのではないかと思います。

中島:9回の活動の中で、苦労したことはありますか。

谷川:実施できる場所がとても少ないことです。私と同じようなレモネード・スタンド活動をしている団体が先に開催することが決まったらそこでは私はできないし、結局知り合いの人にお願いして場所を借りています。

つらい治療、乗り越えて

中島:みぃみくんのように、今治療をしているみんなにメッセージはありますか。

谷川:みぃみが無菌室のベッドへ移ってからは、会うことができませんでした。とてもさみしい思いをしましたが、治ったら元気になっておうちへ帰ることができるんだ、とみぃみも楽しみにしていたでしょうし、私もそれを信じていました。がんは、治るまでは大変だということを、みぃみから教わりました。どんなにつらい治療でも、それを乗り越えて、がんばって欲しいです。

取材後記

オンコロのスタッフとして、仕事柄、私は大勢のサバイバーの方々やそのご家族とお会いする機会があります。今回の取材で、初対面で最年少のほずみさんにお話しを直接聞けたことは、沢山の気づきをいただく形となりました。 

ほずみさんは「がんという病気」をご自身なりに理解し、早すぎるみぃみくんの旅立ちを受け入れそれを乗り越えようとしていることが伝わりました。

身近な人の「死」は、つらく悲しい出来事です。ただこの取材においては、真っすぐに前を向いて生きているほずみさんの姿勢に反する、「可哀そう」や「悲しい出来事」といった、感傷的な記事としてまとめることはしたくありませんでした。

時として、私たちは生きることの意味を忘れて日々を過ごしがちです。

「寄付を集めるために、レモネード・スタンドを実施している」ことが目的ではなく、「がんが治る薬の開発のために寄付金を役立ててほしい」というほずみさんの生き方に、とても感銘を受けました。

今を精いっぱい生きているほずみさん、その活動を支えているご家族やまわりのご友人に、これからもエールを送りたいと思います。

そして、目覚ましい進歩を遂げている現代の医療において、がんに対する多くの新薬が開発されていくことを心から願っています。


*アメリカ合衆国コネチカット州マンチェスターで生まれた『アレックスのレモネードスタンド』活動は、アレクサンドラ(アレックス)・スコットが初めての誕生日を迎える2日前に小児がんである神経芽細胞腫が見つかった事に始まる。

アレックスはがんを患う子供たちのために募金を集めようとレモネード・スタンドを開くことを決めた。兄の助けを受けながら、アレックスは自宅前の芝生地に「小児がん患者のためのアレックス・レモネード・スタンド」 (Alex’s Lemonade Stand for Childhood Cancer) の看板を掲げて店を開いた。話を聞いた多くの人々が訪れ、1日の売り上げは2000ドルに達した。8歳で亡くなるまでに100万ドル以上の募金を集めた。

公式HP:Alex’s Lemonade Stand Foundation for Childhood Cancer (英語サイト)

【連載ブログ】急性骨髄性白血病と闘った”みいみ”の記録

(取材・文:中島 香織)

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