がん情報サイト「オンコロ」

乳がん体験者 山北 珠里さん

今回の「オンコロな人」は、以前「オンコロな人」に登場した若年性がん体験者の濱中真帆(はまなか まほ)がお届けします。
※濱中真帆さんの体験談は【こちらから】

目次

■40歳で乳がん

濱中:こんにちは。卵巣がん体験者の濱中真帆です。まずは自己紹介をお願いできますか。
山北: 山北珠里(やまきた じゅり)です。現在は会社員として働いています。40歳で乳がんと診断されました。

■タダなら受けようかな

濱中:なぜ乳がんが見つかったのか、経緯を教えてください。
山北: 40歳になると、会社の健康診断でマンモグラフィーが受けられるようになり、タダなら受けようかな、と受けてみた結果、要精密検査と診断されました。病院で細胞診を受けたところ、クラス5と言われ、「がんです」と告げられました。その場ではそれ以上の詳しい説明もなく、「次は家族を連れてきてください」と言われ診察室を出ましたが、看護師さんに「この結果を持って大きな病院へ行ったほうがいいです」と言われ、結果を受け取り、自宅へ帰りました。自宅へ着いても頭が真っ白になり何も考えられず、検査結果を机の奥にしまいこんでしまい、気がつけば3年が経過していました。
検査結果を机にしまいこんでから3年後、最初は2.5センチだった腫瘍が8センチまで大きくなっていました。そのせいで皮膚から出血をするようになり、知り合いの先生に相談したところ、患者の意向に沿う治療をしてくれるところを探し、初診の予約を入れてくれることになり、初めて大きな病院へ行きました。CTや骨シンチなどの詳しい検査をした結果、ステージⅢであることがわかりました。

■相談できなかった

濱中:がんだと告知を受けたことをどなたかに相談したりしましたか?
山北:当時は恋人が居たので相談しましたが、乳がんになったことを告げるとだんだん音信不通になり、結局は別れてしまいました。両親も遠方にいたため相談できませんでした。

■「この状態なら綺麗にはならないよ」

濱中:どのような治療をしましたか?
山北:手術も抗がん剤もしたくない、と伝え、ホルモン療法を1年半していました。最初の半年で8センチあった腫瘍が6センチまで小さくなりました。しかし、その後は小さくならず、ようやく手術に踏み切ろうとした時点で健康診断を受けたときから5年が経過していました。手術の際に同時再建を希望していたので形成外科も受診しました。しかし、「この状態なら再建をしても綺麗にはならないよ。」といわれてしまい、綺麗にならないのなら手術は受けたくない、と手術を拒否してしまいました。その後、またホルモン療法をしていましたが、2014年5月、手術をしました。術後の抗がん剤はどうしても嫌、と伝えていたので、術後は何もせず、経過観察をしています。

■仕事をやめるわけにはいかなかった

濱中:お金の面など不安なことはありましたか?
山北: 一人で生計を立てていたので、仕事をやめるわけにはいかず、そのことが治療の選択にもかかわってきました。生命保険には入っていませんでしたが、会社の健康保険が、2万を越えた部分を会社が出してくれる、という保険だったので、なんとかなりました。

■治療を終えて同じように仕事をしていけるのか

濱中:国や医療に対して何かご意見はありますか?
山北:私は一人で生計を立てていたため、仕事と治療を天秤にかけなくてはなりませんでした。特に女性は、結婚して専業主婦になる方もいるためか、女性が働くことに対してハードルが高いと感じています。治療を終えて元に戻れるのか、同じように仕事をしていけるのか、そこに対する保障があればいいな、と経験してみて思いました。

■病気になるのは悪いことじゃない

濱中:最後に、このインタビューを読んでくださっている方に伝えたいことはありますか?
山北:私は、乳がんを通して様々ながん種の方にお会いしました。その中で感じたのは「つらいのは自分だけじゃない」ということです。ダイビングをしていたときの仲間の知り合いに、BEC(乳がん体験者コーディネーター養成講座/Breast cancer Experienced Coordinator)の1期生の方がいて、実際に乳がんを体験した方に話を聞くこともできましたし、乳がんという病気に対して学ぶこともでき、手術に踏み切ることが出来ました。
病気になるのは悪いことじゃない。治療も仕事も諦めないでほしいと思います。乗り越えた先には良いことが待っています。

★乳がん体験者コーディネーター養成講座
http://www.cancernet.jp/training/bec

*こちらの写真は、2011年に中国のパンダ研究所に行ったときの写真だそうです。「がんになって死ぬ前に絶対パンダを抱っこしたい」との思いで、一人で行かれたそうです。そこで知り合った女性とは、帰国後も交流があるとのこと。

■インタビュー後記

がんの告知を受け、頭が真っ白になったと仰っていた山北さん。「がんです」と言われれば誰もがそうなるのだと思います。しかし、仕事も治療も諦めることなく、今では大好きなバンドのライブに何度も足を運んでいる山北さんの姿はとても輝いて見えました。
私たち若年性がん患者は少数派で、常に孤独な存在でもあります。「つらいのは自分だけじゃない。」と思うことが出来るよう、仲間同士、手をとって共に歩んでいけるような社会になるといいなぁ、と思いました。

濱中真帆

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