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【子宮頸がん体験談】「ここなら話せる!」女性特有のがんの患者会活動20年

河村 裕美(かわむら ひろみ)さん(52歳)
静岡県熱海市在住。
子宮頸がんサバイバー。
認定特定非営利活動法人 オレンジティ 理事長。

20年前に子宮頸がんの告知を受けた河村裕美さん。結婚して1週間後のことでした。

広汎子宮全摘手術を受け、さまざまな後遺症と向き合ってきました。

仲間と悩みを分かち合う場を作るため自ら患者会を立ち上げ、一貫した信念のもと、地道な支援活動を継続しておられます。

近年では、女性特有のがん体験者に1つの社会貢献として、里親制度や特別養子縁組の情報提供にも取り組んでいます。

自らも4年前に社会的養護の必要な子どもと特別養子縁組をし、母として、公務員として、患者会代表として、忙しい日々を送りつつ、患者会活動継続のためにクラウドファンディングにチャレンジする河村さんに、川上がお話しを伺いました。

目次

結婚1週間後にがん告知、離婚も考えた・・・

川上:がんがわかったときのことを教えてください。

河村:1999年7月に結婚し、夫と将来の家庭像について夢を語り合うなかで、たまたま「最近生理が重いんだよね」と夫に話したところ、一度病院で診てもらったら、と言われたこともあり、特に自覚症状はなかったのですが、近くの産婦人科の開業医を受診しました。

そこで、子宮頸がんであると告げられました。結婚後1週間目のことです。結婚したばかりでがんの宣告を受け、この先どうなってしまうかわからない人生に夫を付き合わせるわけにはいかないと思い、離婚を切り出しましたが、夫は「2人で生きていこう」と言ってくれました。

その後、セカンドオピニオンのため東京のがんの専門病院を受診したところ、子宮頸がん(腺がんステージⅠbであることがわかりました。すぐに入院し、8月初旬、広汎子宮全摘手術(子宮・卵巣・リンパ節を摘出する手術)を受けました。

川上:結婚直後に女性としてのアイデンティティを失ってしまったことは、どれだけ辛い思いであったか想像もつきません・・・。

一生つきあう後遺症・・患者会の立ち上げ

河村:本当に辛かったのは、手術の後の後遺症の数々でした。

リンパ浮腫、排尿・排便障害、卵巣欠落症候群という更年期障害と同様の症状や、性交障害など、一生つきあっていかなければいけない後遺症が残ってしまったのです。

9月に退院し、日常生活に戻っていくなかで、これらの後遺症とどのように向き合えば良いのか、情報もなく、相談できる人もいない状況で、不安ばかりでした。

そんなとき、東京で婦人科がんの患者さんの集まりがあると知り、参加しました。

初めて悩みを分かち合うことができ、気持ちが軽くなりました。地元、静岡でも同じ思いをしている人がいるに違いない、と、お互いの気持ちや体験をわかちあう「おしゃべりルーム」を開催したところ、多くの女性が集まり、患者会の必要性を実感し、オレンジティを設立することにしました。

川上:術後の後遺症は、デリケートな問題ため、相談しにくいでしょうし、なかなか口にも出せないでしょうから、このような会は女性特有のがんの患者さんたちにとって、とても大切な場なのでしょうね。

河村:後遺症については、術前に医療者からも説明がありますが、説明と違うこともあり、日常生活の場で実際に向き合うと、自分一人で対処していくのがとても難しいと感じます。

後遺症のさまざまな問題は、家族や友人にもなかなか話すことが出来ません。

とくに性機能障害は、パートナーのいる人はその関係にも影響を及ぼす深刻な悩みになり、パートナーがいない人は、今後の恋愛や結婚など将来設計にも関わります。

しかし、誰にも相談できない、という人が少なくありません。

おしゃべりルームでは、「後遺症、どうしている?」「こうしたらうまくいった」と今の状況を分かち合い、みんなの工夫をきくなど前向きに情報交換をして盛り上がります。

こうした話は、皆さん、ここでしか話せない、とおっしゃいます。

オレンジティの活動

川上:オレンジティでは、「おしゃべりルーム」のほかにどのような活動をしているのですか?

河村:会員に向けて会報「オレンジティ通信」を発行し送付、「おしゃべりルーム」でよく話題になる問題について、専門家を招いて勉強会も開催しています。

以前は、会報と勉強会を年4回開催していましたが、現在は活動資金難のため、それぞれ年3回となってしまいました。

勉強会は、1回は専門家をお呼びし、それ以外は、自分たちで工夫して行っていますが、十分な情報提供ができていないことがとてもつらいです。

そのほか、私たちがん体験者にできる社会貢献として、「里親制度」や「特別養子縁組」に関する情報提供『オレンジツリープロジェクト』にも取り組んでいます。

川上:近年、妊孕性温存に関する啓発活動は少しずつ発展してきていますが、こうした情報も、とても大切ですね。

河村:里親も、特別養子縁組も、きちんと理解したうえで時間をかけて向き合わねばならない制度です。

とくに特別養子縁組は、年齢的な制約もあるため、あとから「知らなかった」ということがないように、多くの方に情報を届けたい、と、「家族がふえたよ」という冊子を作成しています。

川上:オレンジティの「おしゃべりルーム」は静岡だけの活動ですか?

河村:東京でも実施しています。

また、他地域でも開催したい、という要望があれば、何度でも出張し、いままでオレンジティが会を運営するなかで培ったノウハウをお伝えしてきました。

千葉や群馬等では、いまも自主的な患者会活動を続けてくれています。

川上:20年変わらずに地道な活動を続けてこられ、さらに各地に活動の種を蒔きながら丁寧に育んでこられていることには本当に頭が下がります。その原動力はどこから来ているのですか?

河村:私は、自分で子どもを産むことができない、「母になれない」ことに、ずいぶんと思い悩みました。

でも、あるとき「社会的な母になればいい」と、思いを変えたのです。

私が活動を続けていくことで、つらい思いをする人が一人でも少なくなればいい、と。社会に対する母性が目覚めたのかな(笑)。

・・・実は、4年前に、本当に母親になったんですけどね。

新しい家族を迎えて

川上: ・・というと?

河村:特別養子縁組で、0歳の女の子を家族に迎えました。

実は、がん治療が落ち着いた10年以前、里親登録をしていたんです。

退職後に、里親として社会的養護の必要な子供のグループホームをしようかな、と漠然と考えていたのですが、ある日、児童相談所から連絡があり、生後4ヶ月のAちゃんと初めて出会い、その年の秋から一緒に生活を始めました。翌年、特別養子縁組が成立しました。

川上:特別養子縁組の成立にあたってのご苦労はありましたか?

河村:特別養子縁組は、審判が下りるまで、実親が意見を撤回できてしまうことがあるんです。

裁判所に特別養子縁組の申請を行ってから半年間、毎日、実親が「やっぱりこの子を返して」、と言ってきたらどうしようと、怖くて怖くてしょうがなかったです。

裁判所から審判が下りた時の喜びは、本当になにものにもかえがたいものでした。

川上:まさにグローバルマザー!河村さんが人生と向き合う姿そのものに、啓発されます。

オンコロが何かお役に立てることがありますか?

河村:がんや治療に関する正しい情報は、患者や家族にとってまず必要なものです。

これからもオンコロには質の高い情報を多くの方に届けていただきたいと思います。

一方で、ネットでは得られない情報や仲間とのリアルな出会いが、患者の支えになることもあります。

オレンジティが取り組んでいるのは、まさにここです。さきほど活動の資金難について触れましたが、現在、活動を続けていくためにクラウドファンディングにチャレンジしていますので、ぜひ、応援していただけると嬉しいです。

認定特定非営利活動法人 オレンジティ Webサイト

クラウドファンディングに挑戦中!(1月31日まで!!)
「ここなら話せる!がんの悩みをおしゃべりできる、私たちの居場所」

(取材・文:川上 祥子)

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