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【多発性骨髄腫 体験談】多発性骨髄腫についてもっと知ってほしい

荒井明子さんは、42歳の時に多発性骨髄腫と診断され、造血幹細胞移植を受けています。

現在も4週間に一度通院し、維持療法を続けられている荒井さんに、オンコロスタッフ大内がお話を伺いました。

目次

なぜ私が…

大内:多発性骨髄腫と診断されるまでの経緯、自覚症状等を教えてください。

荒井:2017年10月、寝返りをうったり、高い所からジャンプして着地すると、腰に激痛を感じるようになりました。

痛みは日に日に増し、2017年12月に近所にある整形外科と内科が入っているクリニックを受診しました。

整形外科ではレントゲンを撮りましたが、「骨はきれいです」と言われ、異常はありませんでした。

次に、内科で尿検査を受けたところ、「尿管結石が疑われるので、泌尿器科を受診するように」と言われました。

当時は忙しく、「時間が出来たら泌尿器科を受診しよう」と思っていましたが、内科を受診した1週間後の深夜に激痛で目を覚ましました。

自力で起き上がれず、激痛で涙が出てくる程でした。

急遽仕事を休み、総合病院を受診することにしました。

泌尿器科を受診し、腹部エコーを取りましたが、結石はみつかりません。

次に、整形外科でレントゲンを撮ると、「胸腰椎圧迫骨折」と診断されました。

一か月間の安静が必要とのことで、フルタイムの仕事を休職しました。

胸部から腰部までのコルセットを作ってもらい、入浴時と睡眠時以外は、それを装着して過ごさなければなりませんでした。

圧迫骨折の診断を受けてから2カ月後には、なんとか仕事に復帰しましたが、今度は、咳やくしゃみをすると、右の肋骨辺りに痛みを感じるようになりました。

2018年3月、整形外科を受診しレントゲンを撮ったところ、肋骨が折れていました。

「なぜ骨折したんだろう」。

転んだり、どこかにぶつけた訳でもなく、思い当たる節がありません。

「何かがおかしい」と思い始めました。

大内:圧迫骨折はご高齢の骨粗鬆症の方におこりやすいイメージですが、42歳の若さで圧迫骨折と診断されたのですね。

原因が無いのに、肋骨が折れるのもおかしいですね。

荒井:そうなんです。おかしいですよね。

ちょうどそのころ、3月上旬に受けた健康診断の結果が届きました。

結果を確認してみると「要精密検査」。

血液検査では「貧血」が、尿検査では「蛋白」と「潜血」が引っかかっていました。

そこで、私は「圧迫骨折、貧血、尿蛋白」等のキーワードを組み合わせて、インターネットで検索してみました。

検索結果で挙がってきたのは「多発性骨髄腫」という病気。

多発性骨髄腫は、高齢者に多い病気と説明されていました。

私の妹は看護師で、血液内科に勤めていたので相談したところ、ますます「多発性骨髄腫」の疑いが強まり、血液内科を受診することにしました。

2018年4月20日に血液内科を受診。

骨髄検査を受け、一週間後の2018年4月27日に多発性骨髄腫の診断を受けました。

大内:ご自分で病気を見つけたなんて、すごいですね。

荒井:友人には、「よく自分で調べて、冷静に行動することが出来たね」と言われました。

多発性骨髄腫は、高齢者に多い病気です。

診断当時、私は42歳だったので「なぜ42歳の私が多発性骨髄腫になったのだろう」と何度も思いました。

煙草を吸わない、お酒も飲まない、食べる物にも気をつけている自分が「がん」なるなんて、不思議にも思いました。

家族からも「なんでだろう」といぶかしがられました。

化学療法(抗がん剤治療)と自家移植

大内:どのような治療を受けられましたか。

荒井:VRD療法を受けた後に自家抹消血造血幹細胞移植を受けました。 

大内:VRD療法とは、ベルケイド、レブラミド、デキサメタゾンの3種類のお薬を用いた治療法ですね。

荒井:そうです。

2018年5月14日から5月31日までの18日間は化学療法導入入院、退院後の6月6日から9月7日まで、VRD療法を4コースしました。

そして、2018年9月13日から24日間、造血幹細胞の採取のために入院しました。

一度退院したあと、2018年10月15日から11月6日まで23日間、造血幹細胞を移植するために入院しました。

大内:ドナーさんから造血幹細胞提供いただく「同種移植」ではなく、ご自身の造血幹細胞を移植する「自家移植」を受けられたのですね。

荒井:そうです。「自家移植」です。

退院後は、2018年12月21日から地固め療法を一カ月間行い、2019年1月18日にベルケイドを終了しました。

現在は、4週間に一度通院し、維持療法を続けています。

2回目の入院前にsCR(厳格な寛解)に至り、現在もその状態を維持しています。

※造血幹細胞移植の説明はこちら

抗がん剤治療に対する思い込み

大内:抗がん剤治療に対する不安はありましたか。

荒井:はじめは、抗がん剤治療を受けることに抵抗がありました。

抗がん剤治療を否定している本が、たくさんありますよね。

私もそうでしたが、入院中に出会った患者さんはみなさん、そのような本の影響を受けていました。

「抗がん剤は効かないんじゃないか」。

そう思い込んでいます。

しかし、実際に抗がん剤治療を受けてみると、病気の状態がよくコントロール出来て、元気になったという人ばかりでした。

副作用は、とてもつらいと想像していました。

絶えず嘔吐しているイメージを抱いていましたが、吐き気止めを処方してくれていたので、実際吐いた回数は少なかったです。

妊娠中、つわりの時の方が吐いていました。

脱毛は、一番悲しかった副作用です。

造血幹細胞採取前の「エンドキサン」投与2週間後から髪が抜けてきました。

外見上の変化は、やはりつらかったです。

しかし、抗がん剤治療を受けていなければ、今のように元気に過ごすことは出来なかったと思います。

腰痛はなくなっていないし、腹痛、疲れやすいといった副作用ともとれる症状はありますが、仕事もして、家の事もできています。

薬剤師さんが言った言葉で印象的だったのは「昭和の抗がん剤と平成の抗がん剤は全然違う」というものでした。

それだけ、医療の進歩はめざましく、副作用が一昔前に比べると格段に軽減されてきているのでしょうね。

主治医を信頼して、治療を受けることの大切さに気付きました。

血液がんに関する情報

大内:インターネットで病気のことを色々とお調べになったと思いますが、役に立った情報はありましたか。

荒井:入院する際に、同じ病気の患者さんのブログを参考にしました。

入院前に、先生がパンフレットを使って、移植について説明してくれましたが、パンフレットのイラストだけでは想像がつかないことが多くありました。

同じ病気の患者さんのブログを通じて、「入院中にあると便利だったもの」や、「患者さんがどのように感じていたのか」といったことを事前に知ることが出来て、とても良かった思います。

今は、ネットで簡単にいろんな情報を検索することが出来る便利な時代になりましたね。

それでも、血液のがんの情報量は、固形がんの情報量に比べると少ないように思います。

5年生存率がニュースで公表されても、胃がん、肺がん、乳がん等の固形がんは公表されているのに、血液がんはスルーされている。

紙面の都合によるものなのか割愛されていて、新聞に載っていません。

罹患率が他のがんに比べて低いためか、ニュースの見出しで目にすることもなく、認知度が低い一因とも思います。

大内:確かにそうですね。

荒井:私も、自分がこの病気かも?と疑うまでは、病名すら知りませんでした。

宮川花子さんが多発性骨髄腫に罹患していることを公表されたので、以前よりは認知度があがったとは思いますが、もっと多くの方に多発性骨髄腫という病気があることを知ってもらいたいです。

大内:荒井さんはブログを書いて、ご自身で情報を発信していらっしゃるんですよね。

荒井:はい。ブログを始めて、私のような若年の方で同病の方がこんなにいるのだと驚きました。

この病気は、「高齢者に多い」「女性より男性に多い」と言われますが、そうでもないのだなと思いました。

体験談をご覧になっている方へのメッセージ

大内:体験談をご覧になっている方へ伝えたいことはありますか。

荒井:からだの不調や異変は、自分自身でないとわかりません。

からだに異変を感じたら、きちんと病院に行ってほしいですね。

また、万が一に備えて、保険を見直しておいたほうが良いと思います。

私は、がんの診断を受けた時、がん保険に入っていなかったので、お金のことがとても心配でした。

治療費や3人の子どもの学費が気がかりで、がん保険にはいっておけばよかったと後悔しました。

最後に、主治医は患者さんのことをよく診てくれていますので、様々な情報に振り回されずに、主治医を信じて、しっかり治療を受けて頂ければと思います。

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