鈴木 美代子さん
南アフリカ共和国 ケープタウン在住
2児の母
現地で乳がんと診断され現在も治療中。
目次
海外で乳がん告知
現在、海外に約10年間在住し生活をしています。
初めて告知されたのは2018年2月、当時45歳の時でした。
浸潤性乳管がんのステージⅡAで、更に遺伝子検査の結果、トリプルネガティブと診断されました。
このトリプルネガティブは、日本人女性に多く治療が難しい乳がんだと主治医に言われ、半ば絶望的な気分になりました。
いつも元気で大病や大けがなど無縁、健康体の自分が、がんに罹患するとは考えてもいませんでした。
日本では臨床検査技師(専門は超音波検査)としてがん専門病院に勤務し、患者さんの乳がんを発見していた自分が、今度は発見されるという真逆の立場になったのです。
「乳がん」という予想外の診断
私の家系でがん疾患というより高血圧症や脳血管系の病気の方が多かったので、がんとは無関係と思っていました。
このため、自分が乳がんにかかるとは予想外でした。
そのようなこともあり、乳がんに関しては全く心配しておらず、乳房の自己チェックなど当然していませんでした。
ある時「たまには胸でも触ってみようかな?」と思ったところ、右側乳房の内側に怪しいしこりを発見。
翌日、家庭医を受診したところ、医師から「ちょっと怪しいから精密検査が必要です」と言われ、すぐに超音波検査、マンモグラフィーの予約をしてくれました。
超音波検査では要精査の結果となり、バイオプシー検査(生体組織採取検査)を勧められ、細胞診の結果、乳がんと診断されたのです。
海外で手術を初体験
がんの告知を受けてから、手術までの1ヶ月間は慌ただしい生活でした。
術式は両乳房切除再建術。両方の乳房組織を切除して、腹部の脂肪を乳房に移動し再建する方法です。
悪性腫瘍は右側だけでしたが、トリプルネガティブだったため再発転移を予防する目的で、両乳房切除となりました。
術式や注意事項など、手術に関することは、もちろんすべて英語。
海外で乳がんに罹ったのも心細いですが、何より日本語が通じないという点が不便でした。
やはり、病気の事は母国語の方が理解しやすいものです。
日常英会話は問題ありませんでしたが、医療用語は聞きなれない難しい単語も飛び交うので、夫に付き添ってもらい一緒に話を聞いてもらいました。
主治医からの質問に対する答え方次第では、治療方針が大きく変わってしまうのが心配だったのです。
日本では手術の経験すらない自分が「海外に来てこんな大手術を受けるなんて」と不安な気持ちになりましたが、何事も経験、と前向きに受け止め手術に挑むことになりました。
診断から手術までは、約1ヶ月間くらいでしたので、子ども達の学童保育や送迎の手配などの準備に慌ただしくなりました。
手術は14時間にも及ぶ大手術となりましたが、ドクターの丁寧な手術のおかげで傷口も綺麗で満足のいくものでした。
海外での入院生活
手術が終了した後は、ハイケア病棟という、日本でいうと集中治療室を広くしたような病棟に3日間寝た状態でした。
現地のハイケア病棟は、広いフロアの中央にナースステーションがあり、患者さんの状態を見回せる構造になっています。
主に手術後や救急患者さんが運ばれる病棟だけに、医療機器のアラーム音が鳴り響き、熟睡できる状況ではありませんでした。
一般病棟に移ってからは、静かに過ごすことができました。
入院期間は6日間でしたが、一般病棟ではセミプライベートの病室が空いていたので快適に過ごせました。
何より、病室にシャワーがついていたのは嬉しかったです。
また、入院生活の楽しみと言えば食事。乳がんは食事制限がないため、好きな食事を選択できたことが良かったです。
朝・昼・夕と毎食、数種類のメニューから好きなものを選べるシステムで、選ぶ楽しみがありました。
日本でも入院患者さんの楽しみは食事と聞いたことはありますが、実際に体験し、その言葉を実感できた瞬間でした。
主治医は気さくなドクターで威圧感はありませんでした。不安なことや分からないことを質問しても、丁寧に答えてくれたので安心できました。
日本と海外の病院の違い
海外では、最初から病院を受診することはできません。
GPという家庭医(クリニック)を受診してからでないと検査を受けたり、専門医に診てもらうことはできず、必ず紹介状が必要になります。
また、加入している保険会社の認可が下りないと、入院手続きや手術ができない仕組みになっています。
病室は日本と変わらず、大部屋や個室、少人数部屋があります。
各病室にはお風呂やシャワーが備えつけられ、入浴やシャワーを許可された人は好きな時間に使用できます。
大部屋、個室に限らず、各ベッドの天井にはテレビが備え着けてあります。
朝は午前5時に起床し、採血や血圧.体温チェックを行った後、紅茶やコーヒー、小さなビスケットが運ばれてくるのを毎朝、楽しみにしていたことを覚えています。
海外での入院生活でしたが、設備も日本の病院と同様に清潔で快適な入院生活が送れました。
保険の仕組み
南アフリカには、日本のように国民保険や社会保険といった制度は整っていません。
個人で民間健康保険に加入するのが一般的で、保険に未加入の人は国が経営する病院に入院することになります。
国営病院の入院費用は収入によって金額が異なりますが、スタッフの人数や設備など医療体制は万全とは言えません。
私は民間の健康保険に加入していたため、国営ではなく私立病院に入院しました。
設備やスタッフ体制がきちんとした病院で、日本と変わらぬ治療を受けることができました。
また、手術費用や入院費用は、保険会社がほぼ全額負担してくれるので多額の治療費を請求されることもありません。
一般の病気とは別枠で、がんと診断された時はオンコロジーベネフィット(日本でいうがん保険にあたるもの)として、そこから保険が出る仕組みになっています。
乳がん初発から再発までの手術費用、入院費用、化学療法、放射線治療など、治療にかかった費用をトータルすると約800万円~1千万はかかったと思います。
保険のおかげで費用の心配をせず、治療に専念できた点は良かったです。
2回の乳がん治療
私の治療方針は、手術療法、化学療法、そして放射線治療の3セット。
日本の場合、ステージⅡAで両乳房全摘の場合、放射線は受けないのが標準治療ですが、トリプルネガティブのタイプだったため、がん細胞を体内に残さないようにと、念のため放射線治療もすることになったのです。
手術を終え、傷口が落ち着いたタイミングでまずは化学療法を開始。
化学療法は2種類薬剤を変えながら、がんに効くものを選択していくことになりました。
初回に使用した抗がん剤は、副作用が激しいと言われるドキソルビシン(点滴薬が赤いことから、現地の患者さんの間ではレッドデビルと呼んでいます)。
ドキソルビシンの治療が終了した後は、パクリタキセルの抗がん剤を使用しました。
初回乳がんの治療期間は1週間に1回の点滴を通院で約半年間行いました。
抗がん剤治療が終わった後は、通院しながら25回の放射線治療。毎日局部に照射しましたが、特に重い副作用もなく終了しました。
そして、再発乳がんはハラヴェンを通院で6クールと5回の放射線治療を終了。
現在も、抗がん剤の内服薬のカペシタビンを1日2回内服しています。
抗がん剤の副作用の不安
抗がん剤の副作用で代表的な症状といえば吐き気、脱毛、体の怠さと聞きますが、私の場合吐き気や嘔吐もなく、普段通りに生活。周囲が驚いていたくらいでした。
また、抗がん剤は本人の免疫力に左右されますが、私の場合、元々体力があったからか、副作用に悩まされなかったのだと思います。
ウィッグ探しに奮闘
抗がん剤治療で苦労したといえば、自分に似合うウィッグを探すのに時間がかかったことです。
現地にはウィッグを販売している店舗はありますが、日本人に似合うようなカラーやデザインが少ないのが現状です。
自分の髪の毛を利用して作る方法もあったのですが、かなり高額だったので断念。
日本円だと約20万円くらいだと思います。
ある時、たまたま入ったお店で、ファッションウィッグを発見。
お値段も手ごろだったので購入しました。
日本だとすぐ手頃な金額のウィッグが手に入りやすいのでは、と思いながら海外でがんに罹るといろいろな面で苦労すると実感しました。
再発の苦悩
初回の乳がん治療から約1年後の2019年に、右側乳房と左右の乳房の間にある胸骨部分の皮膚にしこりを発見。
再発と言われショックでした。
全摘で安心しきっていたのですが、断面に腫瘍が残っていたようで、がん細胞全てが死滅していなかったのです。
トリプルネガティブは治療が難しいことで知られていますし、「頑張って強い抗がん剤にも耐えてきたのに」と悔しい想いがこみあげてきました。
手術や抗がん剤治療を受けたにも関わらず、再発する悪性腫瘍。
本当にがんが消える日がくるのか、不安でたまりませんでした。
普段は強きで前向きな自分も、この時は死を覚悟した瞬間でした。
かなり絶望的になり、カウンセリングを受けようか?など心の拠り所を求めていましたが、主人が熱心に話を聞いてくれたのが救いでした。
5回の手術を乗り越える
乳がん手術をトータルすると、全部で5回受けたことになります。
初回、再建術を受けた後に受けた手術後の細胞診の結果、がん細胞が一部乳房に残っていると言われ、約3時間の手術を受けました。
その後、2019年の再発がんを切除。
更に胸骨付近のしこりもがんと判明し、後日手術となり太ももから皮膚を移植することに。
ところが血流が悪く緊急再手術になり、今度は背中の皮膚を移植し、ようやく状態が落ち着きました。
家族が生きる原動力
乳がんと診断された時、一番悩んだのは当時、11歳と8歳になる子ども達にどのように説明しようか?ということでした。
でも、がんは一人で闘うことはできません。「家族の協力は絶対に必要だし、隠しても後から分かってしまう」と考え、正直に話しました。
予後が悪いトリプルネガティブですが、大きな手術を受ければ良くなる、というように、子ども達が傷つかない言い方で説明をしました。
子どもは達がんという病気は理解していましたが、深刻さは分かっていなかったと思います。
子ども達も「手術をすれば治るんでしょ」と、意外とあっけらかんとしていた様子。
家族に心配かけないためにも、術後動けるようになると、できるだけ動くようにしました。
それに、早期に動くことで回復が早まるため、術前と変わらない家事や育児に追われる毎日に。
体調を気遣いながら、忙しい毎日を送る日々・・・。
がん患者は安静にするのが一番と誤解されがちですが、体調が良く動けるときは動いた方が気分転換にもなります。
忙しくすることで自分ががん患者であることを忘れさせてくれ、気持ちが紛れるのも事実です。
また、私の場合、抗がん剤治療で寝込むことも少なく家族はいつものように頼ってくることもしばしば。
反対に、それが良かったのかもしれません。
逆に慰めてもらっていたら、ますます弱気になって副作用に悩まされたかもしれません。
家族が頼ってくれたおかげで「病気になっている場合ではない」と思わせてくれたのでしょう。
希望は最後まで捨てない
がんに罹ると、気になるのは生存率ではないでしょうか。
たとえ生存率が低くても、奇跡は起こると信じることが何より大切だと思っています。
希望を捨てるということは、がんに負けることです。
事実、私の知り合いに、すい臓がんのステージ4と診断されたにも関わらず、現在も元気で暮らしている方がいます。
また、ストレスはがんに大敵です。ストレスをため込まないために、毎日笑うことを実行しています。
思い切り笑うことでがん細胞が消えていくのではないか、と密かに期待しています。
生き方の選択肢が広がった
今までは自分の専門分野だけでの仕事をしてきましたが、乳がんの治療を通じて考え方も変わり、いろいろなことに挑戦できるようになりました。
乳がんと告知された時は、「生きるなら後悔しないように、やりたいことをやろう!」と生きる勇気が湧いてきました。
こうして自分のコラムを書くようになったのも乳がんになったから。がんに罹らなければコラムを書く機会などほとんどなかったと思います。
コラムの執筆に関しても「自分にもこんな才能があったんだ」など、知るきっかけになったと思います。
病気にならないことが一番ですが、病気になることで自分自身を振り返ることができ、生き方や価値観が変わり、充実した生活を送ることもできるのです。
がんと診断され断崖絶壁に立たされても、物事の見方や考え方を180度変えることで、心に光が射してきます。
現在治療中の日本の皆さんへ
私の場合、海外でがんと診断され孤独や不安な気持ちになりました。
たまたまインターネットでオンコロのサイトを拝見し、私と同じようにがんと闘っている方々のコラムを読み勇気づけられました。
住んでいる国が違っても、同じがんサバイバー ・同じ日本人としてこれからも情報や気持ちを共有できたら良いなと思います。
この先、どうなるかは分かりませんが、がんの経験を活かしいろいろな場面で活動していきたいと考えています。
がんになっても落ち込むばかりでなく、生きがいを見つけることで生きる活力が湧いてくるものです。
私もがんサバイバーの皆さんの体験を共有しながら、 今を精一杯に生きていこうと思います。
(文責:中島 香織)