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【急性骨髄性白血病体験談】コロナ禍で感じた通信手段確保の重要性

小宮 諒(こみや さとる)さん 39歳 茨城県在住
入院生活の中でコミュニケーションの方法について考えられたことがあったそうです。

目次

太腿の痛みから白血病の診断を受けるまで

入院を開始したのは2020年3月でしたが、その少し前から予兆がありました。

2019年12月に会社の人間ドックを受診しており、その際の結果では白血球・血小板の値が大分低く、要精密検査でした。「再検査に行かなければ」と考えつつも、年が明けすぐにインフルエンザに罹り、その後、副鼻腔炎になったりと、白血病を疑うこともなく、単純に風邪などをこじらせてしまった気持ちでいました。色々と完治してから再検査に行こうと考え、仕事が忙しいなど理由をつけ、検査に行くことを後回しにしてしまいました。

年末から大分時間も過ぎ、2020年3月。

仕事中に右太腿に痛みを感じるようになりました。帰宅時に熱いお風呂へ入って痛みをごまかしたりしながら、何日間か過ごしましたが、徐々に症状は悪化し、3月19日には地下鉄の階段昇降もままならず、普段1時間の通勤時間にその日は2時間かけて帰宅しました。夜には熱も39℃まで上がり、太ももの痛みも限界を迎え、救急車を呼び治療をして頂きました。救急の薬の投与で熱や痛みは一時的に弱まりましたが、救急医が血液検査の結果をみて、血球値の異常が確認され、そのまま入院することが決まりました。

その後、正式な検査の結果、急性骨髄性白血病、そして、太ももの痛みは免疫力の低下で太もも部分に菌が入り込んでしまったことによる蜂窩織炎※1との診断を受けました。

治療期間について

蜂窩織炎は厳しい状況でしたが、壊死はしておらず抗菌剤による点滴治療が行われました。また、入院を開始してから、すぐに抗がん剤治療が開始されました。

入院期間は抗がん剤治療、放射線治療造血幹細胞移植(臍帯血移植)を実施しました。骨髄移植や臍帯血移植を担当医や移植コーディネーターの方々と相談しながら、様々な選択肢を鑑みて臍帯血移植を8月18日に実施し、9月4日に生着を致しました。

そして、移植後のGVHD※2の症状が落ち着いたところで10月6日に約半年間の入院生活を終えることが出来ました。大変な長丁場でしたが、貴重な経験をさせて頂きました。

面会謝絶の入院生活

入院期間はコロナ禍での入院生活でした。私は東京で生まれ育ち、職場も東京でしたが、居住地は茨城にあり、入院病院も茨城県内にある血液内科の無菌病棟でした。

2020年3月20日から入院が始まりました。

当時はコロナ患者の方が増え始めた時期で、病院では対応を苦慮している所でした。
入院当初、若干の家族面会などは許容されていました。無菌病棟では以前より12歳以下の面会は許されなかったので、子供とは会えませんが、妻や、東京からきた兄姉や親と会うことが出来ました。

3月25日に東京都に週末外出自粛要請が発出され、3月27日14時に病院から以下のアナウンスがありました。
「コロナ対策により家族を含めた全ての面会が禁止となりました。」

ここから病院に誰一人面会に来ることが無くなりました。

それでも入院中に妻は何回か来ることが出来ましたが、「治療説明の時」と「荷物の受け渡し」の2つの場合のみです。荷物の受け渡しに関しては直接会うことは出来ずに病棟の看護師が荷物を受け取り、私に渡してくれます。妻とは話すことは出来ませんでした。病棟と廊下に2枚の扉があり、10m離れた所で互いに顔を見るのみでした。

病棟には話が出来る患者の方や、医師・看護師・薬剤師・理学療法士・心理療法士・クラーク・清掃スタッフの方などとても素敵な人ばかりでした。楽しく話をしたり、励まし合ったり、愚痴を聞いてもらったりとしました。でも、それで決して満ち足りはしませんでした。

大事な友人や親族と沢山話をしたくなりました。
大事な子供や妻と沢山話をしたくなりました。

私は個室に移ると妻とテレビ電話を頻繁にするようになりました。そのお陰で子供や妻とコミュニケーションが図れるようになりました。
「保育園で何があったのか?」、「今日は何をして遊んだのか?」、「仕事は忙しかったか?」、
「今日の夜ご飯は何?」、「子供の誕生日どうするか?」

病気になる前まで当たり前にしていたことが少し取り戻せました。

気になった他の患者さん達

仲良くなった患者さんがいらっしゃいました。その方が個室に移られた時にテレビ電話の使い方を教えました。繋がった相手はお孫さんでした。繋がってすぐにスマートフォンにお孫さんの顔が映った瞬間のその方の笑顔は私にはたまらないものでした。その時の患者さんの笑顔は今でも忘れられません。

他の患者さんとはネガティブなことも経験しました。

大部屋での話です。ある患者さんがテレビに向かって話をしていました。他にも看護師を呼び止めて、必死に会話をしていました。その時は正直「迷惑をかけているな」と思ったのですが、後々考えると、スマホを持っておらず、デイルームで話す様子などもなく、その方は寂しかったのではないかと考えるようになりました。面会謝絶の環境下で、自分の近しい人とコミュニケーションをする手段を持っていなかったのだと思うようになりました。

その方に私はもっと色々な手段をお伝えすることは出来たのではないかと後悔しています。

通信手段確保の重要性

入院した病棟にWi-Fi環境はありませんでした。

急遽入院したこともあり、入院初期はスマートフォンの契約していたギガ数が足りずに電話をすることやインターネットで検索をすることをためらっていました。また、大部屋にいた時は、太腿にあった蜂窩織炎という症状でベットから移動は出来ず電話などはもともと出来ませんでした。

入院後期ではレンタルWi-Fiなどの契約をしましたが、これにもためらいが強くありました。自分自身が会社を休みながら、医療費で家族に負担をかけている身で新たな支出を家族に申し出ることに罪悪感を強く感じました。妻は快く了承してくれましたが、申し出るまでにとても勇気が必要でした。

これからの人生をどう生きるか

38歳で罹患し、社会人としてもまだ半分程度で病気の経験をしました。現在、休職期間が続いていますが、通院をしながら、復職に向けて会社や医師と仕事と病気の両立について話をしています。

私は小売業で仕事をしていますが、自分の経験を通じて、患者さんの利便性を高めることを今後実現していきたいと思いました。

病気になり色々な方と喋る機会が増えました。障害者をはじめ様々な方のアクセシビリティ、ピアサポート、骨髄臍帯血バンクなどの支援体制、また、病院にWi-Fiが整備される為の支援など、様々な方が今後の過ごしやすさを残す活動をされていることに沢山触れてきました。

私自身も公私ともに今後、誰かの一助になる人生を過ごしていければと強く感じています。

※1:蜂窩織炎(ほうかしきえん)・・・皮膚とその下の組織に細菌が感染し、起こる炎症。好発部位はのすねの部分や甲。
※2:GVHD(移植片対宿主病)・・・移植後にドナー由来のリンパ球が患者さんの正常臓器を異物とみなして攻撃すること。

文責:山﨑 和樹

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