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2回のがんを経験して思うこと

認定NPO法人キャンサーネットジャパン(CNJ)が神奈川県などと共催で、8月29日~30日、「オンライン血液がんフォーラム2020」を開催。2日目の「サバイバーズトーク」では、軟部肉腫と骨髄異形成症候群MDS)を体験した米国テキサス大学MDアンダーソンがんセンター乳腺腫瘍内科部門教授の上野直人氏と、悪性リンパ腫の治療を受けたフリーアナウンサーの笠井信輔氏が、それぞれの体験を話しました。まずは、上野氏の体験談と新型コロナウイルス感染症に関する話をお届けします。

目次

MDSになって「未来がないのではないか」という気持ちに

 僕は、2007年に「軟部肉腫(サルコーマ)」、約6年前には、血液がんの一種の「骨髄異形成症候群(MDS)」と2回がんを経験しています。軟部肉腫では大腿部の組織を切除しました。手術だけで済んだのですが悪性度が高く、再発の可能性が高いということで、不安な気持ちで過ごしました。

 実は、MDSは軟部肉腫の診断を受けるより前からあったようで、2005年頃から血小板は低い状況でした。約6年前に初めてMDSと診断され、IDH2という遺伝子変異があることが分かりました。MDSは完治が難しい病気です。僕は、退職したら子どもたちにスキーを教えるインストラクターになりたいと思っていたのですが、肉腫になったときには、再発したらそれも実現できないから「未来が見えない」と感じました。MDSの確定診断がついてからは、「未来が見えないのではなく、ないのではないか」と思いました。自分がどう生きたいかを考えると、どうしたらいいか分からなかったというのが正直なところです。

 MDSを完治させる可能性のある方法として造血幹細胞移植の選択肢があります。しかし、移植のリスクは高く、MDSの場合は移植のタイミングによっては予後が悪くなる恐れもあったので、どうすればいいのかかなり悩みました。当時50代前半だったのですが、考えた末、仕事や旅行は思い切りしたいし活動も活発にしたいから、完治を目指せる治療のほうがいいということで、17年に造血幹細胞移植を受ける決意に至りました。

元移植医が造血幹細胞移植を受けて感じた現実

 僕が受けたのは、非血縁ドナーからの同種移植で、多少HLAが一致していないという状況でした。移植を受けた後は、明らかにアピアランス(外見)が変わり、吐き気、食欲低下、倦怠感、皮疹が出て腎機能が低下し、貧血、血小板が下がり、大量の輸血をして乗り越えて、4カ月くらい入院しました。ありがたいことに厳しい合併症は起こらずに何とか乗り越えて、いまは病気がない状態です。

 僕が99.9%の他の患者さんと違う点は、元造血幹細胞移植医だったということです。しかも、いわゆるミニ移植と呼ばれる骨髄非破壊的移植に使われるブスルファンやフルダラビンの開発に関わっていました。自分自身が関わった治療薬を自分の体に入れていくというのは不思議な感覚でした。元移植医としてかなり知識を持っていたことが困惑を招いたと言えます。どんなに知識を持っていたとしても合併症は起きるわけです。気分の浮き沈みが激しく、指紋がなくなって、歯垢が沈着し、骨粗しょう症、サルコペニアになって筋肉の量が極端に下がって力が入らなくなり、一挙に年を取った感じがしました。

つらかったのは病気の人に対する無意識の差別

 がんに2回なって感じるのは、一つは、病気の人に対する差別があるということです。毛が抜けてアピアランスが変わることによって、いい意味でも悪い意味でも周囲の人の反応が変わりました。何といってもつらかったのは無意識の偏見です。例えば、造血幹細胞移植をすると伝えたら、危険な治療だからこの人は今後仕事に戻ってこないのではないか、仕事を減らしたほうがいいのではないかと、見えないところで勝手に判断されてしまう。勝手に周りが自分を病人として扱っていくことがつらかったです。

 2番目には葛藤ですよね。どれだけ知識を持っていようが、移植をするかしないか、さらにドナーを誰にするかなどいろいろな葛藤がありました。非血縁ドナーの候補が三十数人いた中で最終的に2人に絞られたのですが、年齢、HLAの型、血液型が違うとかいろいろなファクターがあって、それが結果に影響するのではないかと思うと自分で決められず優柔不断な状況に陥りました。結局、主治医の言葉で最終的にどうするかが決まったのですが、優柔不断なときに何が決め手になるかは、僕の場合は医学的な事実だけではなく、自分の人生をどう生きたいのかということでした。自分自身がどう生きたいかという価値観自体を持っているようで持っていなかったということに、今回移植を通して気づきました。

知ることは大切だが知らない幸せもある

 3番目に感じたのは、知ることの大切さと知らないという幸せです。移植後に遺伝子検査を受けたのですが、変な遺伝子が出てきたけれどもその意味が分からないと言われ、再発ではないかと不安になりました。少し前まで遺伝子検査なんてありませんでしたから、かえって知らなかったほうが幸せではないかと思いました。まったく知らないのも嫌ですし、知識があるから本当に納得できるとは限らないのです。

 4番目に感じたのは忘れる経験です。移植中も自分の思いや経験をフェイスブックに書いていましたが、そのときに感じた経験、思いは時間が経つと変わり、3年経つと、悪い思い出も美化されます。治療を受けた時点での当事者の気持ちや思いを知るというのは、なかなか難しい。時間が経つと話がどんどんいい方向へ行きやすい。それが、悪いことを忘れることによって心の平安があるという、人間の本能なのかもしれません。

 僕はこれまで、2冊本を書いています。一つは、『最高の医療を受けるための患者学』(講談社+α新書)です。肉腫になる前に書いたのですが、自分が患者になったらこの本に書いたことができたかというとできていません。もう1冊は、『一流患者と三流患者 医者から最高の医療を引き出す心得』(朝日新書)で、MDSで移植を受ける前に書きました。患者に対して「三流」はないだろうというご批判も浴びましたが、自分自身、患者として二流か三流ではないかという思いがあります。ぜひ、機会があったら読んでください。

新型コロナで移植後のような隔離生活がニューノームに

 ここで、新型コロナウイルス感染症の影響についても触れておきたいと思います。CIBMTR(国際造血細胞移植データ登録機構)という組織のホームページ(https://www.cibmtr.org/Covid19/Pages/default.aspx)に、造血幹細胞移植を受けた人たちの感染者数と死亡者数が載っているのですが、これを見ると現時点での死亡率は二十数%と高率です。僕は移植を受けてからほぼ3年経っているのですが、やはりハイリスクのグループに入るのではないかと、不安を抱えながら生活しています。鍵のような形をしたドアオープナーでドアを直接触らずに開けたりエレベーターのボタンを押したり、防護服を着て患者さんを診たりしているのですが、これがニューノーム(新しい日常)になるのかもしれません。今後も移植直後のような隔離生活が続くのかなあと思います。

 最後に、がんを通して学んだことの一つは、よりよい選択よりも、後悔をしないということが重要だということです。もう一つは、病気に勝つということがよく言われますが、やはり病気には勝てません。病気と共に自分らしく生きるには、「自分に克つ」ことが大事なのではないでしょうか。

 がんになってよかったかというと、ならなかったほうがよかったというのが正直な感想ですが、それでも自分らしく生きるチャンスを与えられたので、感謝しています。2人に1人ががんになる時代ですから、がんになっても動揺しない社会を作り、動揺しない社会を広げるのが重要だと考えています。

(取材・文/医療ライター・福島安紀)

※キャンサーネットジャパンの血液がんフォーラム「サバイバーズトーク」の動画は、下記サイトから視聴できます。
 https://event.cancernet.jp/blood/session_a07/

キャンサーネットジャパン・オンライン血液がんフォーラム2020


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