2020年1月29日、国立がん研究センターは、進行卵巣がんの悪性化に関わるメカニズムを解明し、腹膜環境から新たな化学療法に対する抵抗性の原因を明らかにしたと発表した。
この研究成果は、名古屋大学大学院医学系研究科産婦人科学の吉原雅人大学院生、梶山広明准教授、吉川史隆教授、同大ベルリサーチセンター協同研究講座の那波明宏特任教授、国立がん研究センター研究所の山本雄介 主任研究員、米アデレード大学のCarmela Ricciardelli(カルメラ リチャーデリ)博士ら研究グループによるもの。
卵巣がんは婦人科領域における最も予後不良ながんの1つであり、腹膜播種1を伴う特徴的な進行の形を示す。特に、進行・再発した腫瘍では、プラチナ製剤2を中心とした化学療法への抵抗性を獲得し、難治性がんへと変化する。
今回の研究では、腹膜播種における卵巣がん細胞の生存を支える“土壌”としての腹膜に着目。腹膜の特徴的な構成要素としての腹膜中皮細胞3に焦点を当て、卵巣がん細胞との間で行われる異種細胞間のクロストーク4と化学療法への抵抗性の関連について検討したという。
卵巣がんの腹膜播種の組織では、中皮細胞の標識マーカーの1つである「calretinin」という分子が、腹膜の表面の単層上皮層から腫瘍の微小環境内へと連続して存在することを確認。これらの変化は、主に卵巣がんから放出される液性因子のTGF-β15によって誘導される腹膜中皮細胞の間葉転換6に基づくことを示したことから、研究グループは、これらの細胞を卵巣がんに関連する「腹膜中皮細胞(OCAM)」と定義したという。
そこで、TGF-β1刺激後の腹膜中皮細胞を用いて卵巣がん細胞株との共培養を行ったところ、対照と比較して、明らかにシスプラチンへの抵抗性が増強していることが判明。RNAマイクロアレイ7により、網羅的にメカニズムの探索を行った結果、卵巣がん細胞内のAktシグナル8活性化が、プラチナ製剤への抵抗性を獲得する原因と同定した。
さらに、上流のシグナルを網羅的にプロテオーム解析9を実施したところ、TGF-β1の刺激により、腹膜中皮細胞上に強発現したフィブロネクチン10が卵巣がん細胞のAktシグナル活性を生み出す候補として浮上。siRNAを用いて、TGF-β1刺激を行った腹膜中皮細胞上のフィブロネクチンを減少させると、卵巣がん細胞のAktシグナル活性は低下し、プラチナ製剤への抵抗性が改善することが判明した。
その一方で、TGF-β1刺激によってマウスの腹膜上にもフィブロネクチンの発現が増えることを同定し、さらに、腹膜播種のモデルとして卵巣がん細胞を腹腔内に注入したところ、TGF-β1前投与を行ったグループでの腹膜に生着した卵巣がん細胞で、Aktシグナル活性の亢進を確認したという。
以上の結果から、がんに関連する腹膜中皮細胞は、フィブロネクチンを介して卵巣がん細胞のAktシグナルを活性化させることにより、プラチナ製剤への耐性を誘導する可能性をもつことが明らかになった。
今回の研究によって、腹膜播種の微小環境における卵巣がんに関連する腹膜中皮細胞と卵巣がん細胞の相互関係が、腫瘍の進展を促進し、一部のプラチナ製剤への抵抗性の原因になっている可能性が判明した。研究グループは、「これらのメカニズムの外因的要因である環境としてのOCAMを治療の標的とすることは、腹膜播種を伴う進行卵巣がんにおける新たな治療戦略になると考えます」と述べている。
この研究成果は、2020年1月24日付(欧州時間)、国際医学総合誌「International Journal of Cancer」(電子版)に公開された。
用語の説明
1.腹膜播種
腹膜を覆う腹膜表面へ腫瘍細胞が「種を播いた」ように散布し、腹膜に転移巣を形成する卵巣癌に特徴的な転移形態。
2.プラチナ製剤
抗腫瘍薬の1つ。シスプラチンやカルボプラチンなどが代表的である。
3.腹膜中皮細胞
腹膜全体の表面を覆う単層の上皮細胞。
4.異種細胞間のクロストーク
卵巣がん細胞と腹膜中皮細胞の間で行われる異なる種類の細胞同士の相互作用。
5.TGF-β1
トランスフォーミング増殖因子-β1。上皮間葉転換に関わる代表的な因子であり、細胞の分化や増殖にも関与する。
6.間葉転換
接着能力を失い、動きやすい挙動を示すように細胞が変化する事象。
7.RNAマイクロアレイ
遺伝子の発現パターンを網羅的に調べる手法。
8.Aktシグナル
タンパク質の合成や細胞増殖および生存など、基本的な細胞動態に関与するシグナル経路。
9.プロテオーム解析
タンパク質の発現を網羅的に調べる手法。
10.フィブロネクチン
細胞膜表面に存在する糖タンパク質。細胞接着やシグナル伝達に関与する。