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【肺がん体験者】 長谷川一男さん Part2

目次

はじめに ~2回目のインタビューを行った理由~

長谷川さんと初めて出会ったのは、約3年半前でした。「オンコロ」が生まれてまだ間もない頃のことです。がん患者さんの体験談を掲載していこうと決まり、その企画の中でコンテンツマネジャーの柳澤さんの紹介で私がインタビュアーとしてお話を伺いしました。

※前回記事【肺がん体験者 長谷川一男さん】

その際に私は長谷川さんの考え方や患者会活動への想いに触れ、長谷川さんのファンとなりました。インタビュー後も長谷川さんの活躍は目覚ましく、患者会活動、世界肺がん学会への参加、受動喫煙防止への活動、薬剤早期承認の要望書提出、全国各地での講演、メディア出演などなど、今や「世界のハセガワ」と言っても過言ではありません。

活躍の一方で、長谷川さんは肺がんという病気と闘っており、万全な体調ではないことも知っており、頑張りすぎではないかな?と心配しておりました。それと同時に、「なぜここまで頑張れるのか、何か理由があるのだろうか、長谷川さんを動かしているモノは何か?」と、ファンとしてさらに長谷川さんを知りたいと思うようになったのです。そして、長谷川さんを知るということは、私の個人的な興味だけではなく、患者さんやご家族、医療関係者、製薬業界人にとって役に立つことであると思い、2回目のインタビューを行う運びとなりました。

それでは、前置きが長くなりましたが、インタビュー本編をどうぞ。

自己紹介

濱崎:3年前に長谷川さんにインタビューをさせていただい時も、非常に多くの方から反響があり、患者さんが長谷川さんの声を求めていると感じ、第2弾を実施させていただきました。改めて、まずは長谷川さんの自己紹介からお願いいたします。

長谷川:長谷川一男です。神奈川県横浜市に住んでいて、家族は妻と子どもは2人(高2と中3)です。私は、2010年2月に肺がん罹患しました。ステージⅣで、ドライバー遺伝子がないタイプ、余命は1年ぐらいと言われました。子どもは、当時小2と年長であったため、その時は青天の霹靂でしたが、治療を重ね、現在で10年目に至ります。2015年にワンステップという患者会を始めて、現在の会員数は1,200人です。2ヶ月に1回のペースでおしゃべり会の活動をしています。

【NPO法人肺がん患者の会 ワンステップ(長谷川さん自己紹介)】

未来の子どもへの手紙

濱崎:今では幼かったお子さんも長谷川さんよりも背が高くなったとのことですが、診断された当時、お子さんがこんなに大きくなる姿が見られるとは想像できなかったのではないでしょうか。

長谷川:想像できなかったです。子どもたちに何か残したいと思って手紙を書いたことを覚えています。39歳でしたので、子どもたちが39歳まで、毎年誕生日に父親からの手紙が来るように書きました。

濱崎:その手紙はどうされたのですか。

長谷川:妻からもう捨てたら?と言われましたが、1通書くのに4~5時間かかりました。捨てられないです。誰も見ないですが。

濱崎:結局その手紙は残してあるのですか。

長谷川:棚に束で置いてあります。子どもが39歳まで誕生日に届くように書くと言いましたが、あまりに大変で20歳までしか書いていません。(笑)

濱崎:20歳まででも十分です。因みにですが、時が経った訳ですから、当時の手紙は渡せる歳にお子さんは成長しているので、渡しているのですか。

長谷川:渡さないです。それは自分がいない前提ですから。

濱崎:その手紙は書いて良かったとか思いますか。

長谷川:もしいなくても誕生日に父親からの手紙が来て、メッセージが来る訳です。やって良かったというよりも役目としてやったっていうイメージです。

病気の治療と現在の状況について

8種類の薬剤を使用し、5ラインまで治療受けました

濱崎:病気や治療について、現在の状況も含めてお聞かせください。

長谷川:まず、ステージⅣの肺がんは薬物治療のみのため、標準治療をしました。現在までに薬は、8種類使用しました。ラインで言うと、5ライン行っています。あと、放射線治療や手術もして、右肺を全摘出しました。現在は全摘出したことによる合併症に悩まされています。2015年にインタビューしていただいた時は、5ライン目を行っていた時だと思います。コルセットも入っていなかった頃です。

2016年春、コルセットを入れ始めました

濱崎:コルセットを入れたのは初めてインタビューをした後ですよね。

長谷川:2016年の春頃から入れ始めました。

濱崎:NHKのドキュメントにもなっていましたが、自ら手術を選択されて、手術してもらえる先生を探し、最終的に手術をしたというエピソードを覚えています。手術をしたいと語られていたのは、治すチャンスがあったからと仰っていましたが、その時の心境をもう少し詳しくお聞かせください。

長谷川:単純に治療法がなかったのです。標準治療は終わり、放射線治療も使用済み。しかし身体は追い詰められた状態ではなく、原発が小さくほかに転移がない、いわゆる良い状態です。その状況でできることは何かと考え、残っているのは手術でしたので、手術を検討して、先生と相談して決めました。

濱崎:先生からは、もう治療法はないと言われていたのでしょうか。

長谷川:残っている抗がん剤はあるため、治療法がない訳ではありませんでした。ただし、先は見えなかったです。残っている薬を想像して計算できます。自分の寿命はどれぐらいか何となくわかってくるので、生き延びるために何をすべきか考えて決めました。

経過観察が現在も続いています

濱崎:手術後の経過観察時は、合併症の治療をされているとのことですが、その後は肺がんに対する治療はされていませんか。

長谷川:1年間薬の治療をしました。お腹に複数の転移がありますが大きくならない状態で、経過観察です。

濱崎:そうすると、経過観察からずっと治療しないでそのまま留まっている状態のまま、現在に至るということですか。

長谷川:2016年4月頃から約3年間、経過観察中です。

濱崎:これは不思議な現象というか、どういう状況なのか長谷川さんは先生の説明を聞いてどういう解釈でいらっしゃるのですか。

長谷川:先生も不明のようで、解釈はどうというものはないです。

患者会立ち上げに至るまで ~嫌いな自分からの脱出~

濱崎:長谷川さんにとって辛いこととは何でしょうか

長谷川:例えば、今コルセットをしており、転ぶと下半身不随の可能性があります。右肺を取っているため、小走りもできません。ですが、それは一番つらいことではなく、一番つらいことは、困難から逃げたことです。

濱崎:どのような経験をされたのですか。

長谷川:手術が終わり、合併症が発覚した時、1年間に5~6ヶ月入院、退院しても週7日通院が続きました。=毎日みたいな時期があり、当時ブログには、Everydayカチューシャという曲があるのですが、Everyday病院と書いていました。(※2012年9月25日ブログ「AKB風な長谷川さん!?」)それから病気になって4年目になって、通院が週5回くらいになった頃に働こうと思い、横浜の障害者合同説明会に行きました。

濱崎:その合同説明会で何かあったのですか。

長谷川:ステージⅣで週5通院している人間なんか雇ってくれないのではないか。週5通院しているということは1日数時間しか働けず、1ヵ月5万円もいかない、1ヵ月5万円だなんてバカにしているよ、とせっかく行ったのに何もしないままでした。社会から離れて5年経っていたので、社会復帰できるかどうか怖くなっていたんだと思います。また1ヵ月5万円以下の給料に対して、自分のプライドが許さなかったのだと思います。自分の値打ちが5万円とは受け入れられないわけです。すると隣には知的障害を持った高校生の集団がいて、一生懸命面接に行っているのです。自分の置かれた場所できちんとやれることをやる人達がそこにいました。そして文句ばかり言って何もしない自分がいる。それに気づいた時には、もうそこにはいられなくて帰ってしまいました。私は自分が一番嫌いなやる前から諦めるような人間になっていました。

濱崎:その後は?

長谷川:そこから抜け出すべく、昔の仲間を頼って、仕事に復帰しました。仲間は『おかえりなさい』と言ってくれましたよ。『長谷川さん、ここはあなたの居場所です。帰ってくるのを待っていましたよ。』ということですよね。5年も離れていたのにこの言葉です。とてもうれしかったです。配慮もしていただき仕事をしました。その後に多発転移し、もとの仕事はできなくなりましたが、今は大丈夫です。患者会をやっています。できることをしています。卑屈にはなっていません。

【NPO法人 肺がん患者の会 ワンステップのブログ】

活動のモチベーションについて

濱崎:患者会活動はさらに広がりを見せていますが、患者会をやってきた中で、何か気持ちの面で変わってきたものはありますか。

長谷川:自分としては特に何か変わったとは思っていません。自分にできることはやりますという考えです。その結果、人脈が広がり、規模が大きくなりました。うれしいですね。

今後の活動展開について1 ~がん教育への関わり~

濱崎:今後の長谷川さんについて、何か考えていることや目標があれば教えてください。

長谷川:今、神奈川県のがん教育に関わろうとしております。がん教育は患者が外部講師として、がんの正しい理解、命の大切さなどをテーマに生徒に教えていくもので、小中高で始まります。2019年1月、神奈川県のがん患者団体が集まって、神奈川県がん患者団体連合会が結成されました。個別の患者会の課題ではなく、神奈川県の共通の課題に向き合う団体です。そこで進めていく予定です。

今後の活動展開について2 ~受動喫煙対策活動(グローバルブリッジ)~

濱崎:他にはありますか。

長谷川:受動喫煙に対しても進めています。肺がん患者会の連合体である、日本肺がん患者連絡会で、メイヨークリニックのグローバルブリッジというプロジェクトに参加することになりました。受動喫煙のない社会にする仕組みなどを考えて発信してく予定です。応援して欲しいです。

濱崎:そのプロジェクトに肺がん患者連絡会が対象になったということでしょうか。他にどういった団体が関わっているのでしょうか。

長谷川:他には国立がん研究センター、がん看護学会、日本禁煙学会などです。

濱崎:本日はどうもありがとうございました。これからもオンコロは長谷川さんを応援していきます。今後のさらなるご活躍を楽しみにしています。

※グローバルブリッジについての概要説明 ※この画像は拡大表示が可能です。

終わりに ~やれることをやれるようにサポートを~

「なぜここまで頑張れるのか?」「理由が何かあるのか?」この私の問いは、長谷川さんには愚問であったと、反省しております。インタビュー内にもありましたが、長谷川さんは言葉であれやこれやと語るのではなく、行動で示す人だからです。

「自分にやれると思うことをやっているだけ」この言葉は実際に多くのことを実践してきた長谷川さんが言うと、とても重みのあるものに感じます。しかし、私からすると長谷川さんだからこそできたことも多いと思っています。オンコロでは長谷川さんの活動を支えるサポートを今後も行っていきたいと思います。

今回、長谷川さんには1時間を超えるインタビューにお付き合いいただきました。本当にありがとうございました。

肺がん患者の会 ワンステップについて

長谷川さんが代表を務める、2015年の4月25日に設立された患者会です。肺がんに関する最新の情報やドクターへのインタビュー、おしゃべり会などの患者交流イベントなどお役立ち情報が満載です!まだ見たことがないという方は、ぜひ一度ご覧ください。

【NPO法人 肺がん患者の会ワンステップ HP】



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