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【AYATALK!〜AYA世代×がん〜】中学生でがんになって〜Mika’s Voice〜

これから複数回に渡ってAYA世代とがんをテーマに、AYA世代でがんに罹患した方をインタビューしていきます。
AYA世代のがんを取り上げる理由は、まず就学、就職、恋愛、結婚、出産などライフイベントが集中しており、がんに罹患することでこれらのイベントに大きな影響を及ぼします。しかしながら、一般への啓発が不足しているなど、対策が不十分だからです。
インタビューを通じそれぞれのAYA世代のがん体験者に自身が感じた問題を話してもらうことで、がんに罹患することでどの様な問題が存在しているということを知ってもらえたらと思います。
まず企画の第一弾として、中学3年生でステージⅣの悪性リンパ腫に罹患し、現在は寛解して看護師を目指しているMikaさんの感じた問題について話して頂きました。
※AYA(アヤ)世代:Adolescent and Young Adultの略で15歳~30歳前後(欧米では15歳~39歳などの定義もある)の思春期・若年成人のこと
※本インタビューは同じくAYA世代でがんに罹患した鳥井大吾が行いました。体験談はコチラ

ーでは、簡単に自己紹介をお願いします。

Mika Mikaです。現在22歳で看護学生です。
がんに罹患したのは中学3年の時で、がん種は悪性リンパ腫のホジキンリンパ腫のステージⅣでした。
治療は初めにCOPP療法をやりましたがあまり効果はなく、その後BEACOPP療法を8クール行い、最終的には1年弱入院をしました。
現在は寛解して、定期的に3ヶ月に1回通院しています。

ーはじめはどの様な症状がありましたか?

Mika はじめはただの風邪だと思っていました。近くの病院に行くも、喘息と診断。
なのでそのまま放置をしていたら、だんだん息苦しくなり、起きるのも辛くなってきました。
あまりにも症状がひどいのでしばらくしてから別の病院に行くと、重大な病気かもしれないとのことで、大学病院を紹介されました。

ー初めの病院に行ってから別の病院に行くまでどのくらいの期間がかかりましたか?

Mika 3週間ほど時間が空いてしまいました。それから大学病院に2週間入院し、詳しい検査をしてから小児医療センターを更に紹介されました。

ー3つの病院を渡り歩いたのですね。どのタイミングでご自身ががんだと知りましたか?

Mika 両親は私が大学病院で入院している時にがんかも知れないと医師から言われていたようです。
私は県のがんセンターのがんであると言われました。

ー中学3年でがんだと言われた時はどう思いました?

Mika 主治医から説明があった時は、がんというかホジキンリンパ腫と言われたので、全くピンときませんでした。
またそこからすぐ治療に入ったので、はじめはがんの治療をしているという実感もなく。

ー確かに、ホジキンリンパ腫と言われても「=がん」だと思わないですよね。ではMikaさんが自身ががんであるとわかったのはいつなんですか?

Mika 4クール目が終わってだんだん治療にも慣れてきた頃に、ケータイで「ホジキンリンパ腫」と検索をし、血液のがんであると知りました。
ただ振り返ってみると治療の時に髪が抜けるかもしれないと主治医から説明を受けたり、周りに入院している同世代の子たちも髪が抜けていたので、やっぱりそうだったんだと思い出しました。

ーがんだとわかった時の心境はどうでしたか?

Mika 母や看護師や先生に「私はがんなの?」と聞きました。母からは「そういうのは調べちゃダメ」とわれ、看護師からは「今度先生に詳しく説明してもらえるように伝えておくね」と言われ明確な答えは得られず、先生からは「がんではない」と言われました。
おそらく私の精神的に不安定だったので、余計にマイナスな気持ちにさせないよう配慮頂いてたんだと思います。ただ、一気に不安になったのを覚えています。

ー15歳という思春期で、治療で気持ちが落ち込んでいる時に、「がん」だと伝えるべきでないと判断したんでしょうね。ちなみにご両親の変化などは感じましたか?

Mika ちょうど入院したのが中学3年の10月でしたので、ぎりぎりまで高校受験が出来るように模索してくれたり、今までと変わらない接し方をしてくれました。

ーそれでは、ちょうど中学3年の9月と思春期真っ只中だったと思うので、学校でことをお聞きしたいと思います。入院することになって、周りの友達に伝えましたか?

Mika はじめは親友1人に伝えました。というのもその親友と喧嘩をしていたのですが、入院することになってしばらく会えなくなるのでとにかく仲直りをしようと思い、そして入院することも伝えました。

ーその時の親友はどの様な反応でしたか?

Mika 入院することを伝えると、親友は泣いてしまいました。ただそれからは入院中のお見舞いに来てくれたり、お世話をしてくれました。

ーそれは、仲直りも出来てよかったですね。その他の友達には伝えましたか?

Mika 当時付き合っていた方にも伝えました。しかしすぐには伝えず、入院してしばらくしてからでした。

ーすぐ伝えなかったのはなにか理由はあるんですか?

Mika 入院することをどう伝えていいかわからずに、そのまま治療に入ってしまいました。向こうから連絡は来ていたのですが、治療がはじまると薬の副作用でそれどころではなくなってしまい・・・治療に慣れた頃に電話で伝えました。ただ、いろいろ聞かれることが辛い状態だったので、細かいとこは伝えなかったです。

ー確かに自分が不安な中、いろいろ聞かれるのは辛いですよね。私もがんと友達に伝えると、いろいろな人から「大丈夫なの?」と聞かれ、俺もわかんないよって思ってました笑 他のクラスメイトはMikaさんが入院している理由を知っていたんですか?

Mika 当初は新型のインフルエンザが流行っており、みんな私がインフルエンザで入院していると思っていたようです。中学3年だったので、特に疑問にも思われていなかったようでした。

ー最終的にはクラスメイトはMikaさんの病状について知ったんですか?

Mika 知っていたと思います。12月くらい担任の先生からクラスメイトに伝えたそうです。がんとは言わずに病気で入院していると。ただその後、噂で私ががんであると広まっていたようでした。ある時から近所に住んでいる親伝いで、どんどん広まっていきました。

ーお母さんって噂話が好きですもんね。

Mika そう、だから卒業式の時に全く面識のないお母さんが私の姿を見て、すごい泣いていました。私はやめてよって思いましたが。

ー噂が広まっていたのを知った時にどう思われましたか?

Mika 自分から言わずに済んだのは良かったですが、変な広まり方をしているのはイヤでした。また当時卒業式に参加するかしないかで悩んでいたので、余計に参加したくありませんでした。

ー最終的には卒業式には参加されたんですか?

Mika 噂のこともありましたし、副作用でガリガリに痩せ、肌が黒ずんだり、髪の毛も抜けてしまったいたので、卒業式には参加したくありませんでした。しかし母が、最後の卒業式になるかもしれないから行きなさいと言われ・・・結局行きました。

ー高校への進学はどうされましたか?

Mika 学校の先生が受験出来るように、保健室で受けられる高校などを調べてくれました。しかし受験に受かったとしても、数ヶ月は休学することになりストレートに進学することが難しいことに加え、退院後はしばらく運動も出来なく、ウィッグを付けながら学校に行くのもイヤで、普通の高校は諦めました。

ー最終的にはどうされたんですか?

Mika 通信制の高校に行きました。通信制なら週に1,2回通う程度で済みましたので。

ーそれだったら体力的にも助かりますね。

Mika そうでした。やはりはじめの1年は自宅にいることも多かったです。ただ、2年目からはどうしてもしたかった、バイトをはじめました!

ーすごい笑。もうバイトできるくらい元気になってたんですか?

Mika だいぶ元気になりました。

ーでは、勉強の方はどうでした?

Mika 通信制の勉強はそこまでむすかしくなかったので、大変ではなかったです。ただ、高校入ってしばらくすると、だんだん看護師になりたいと思うようになりました。

ーそれは、やはり入院した経験が大きく影響してますか。

Mika はい!退院してからも精神的に悩んでいて、そんな時に看護師の方が親身に相談にのってくれたんです。それから看護師に憧れるようになりました。

ーでも、中学3年の途中から1年入院してしまうと勉強の遅れは大きかったですよね。

Mika 大きかったです。だから受験をすると決めてからは中学生の頃の勉強からやり直しました。特に数学なんかはやっていなところがあったりと大変でした。そして今の看護学校に入学することが出来ました。

ー努力の甲斐あって、夢に近づいたんですね。順調に行けばいつから看護師として働き出すのですか?

Mika このまま行けは、2年後です。もちろん国家試験があり、大変ですが頑張ります。

ーぜひ、頑張ってください。では今回のテーマがAYA世代とがんということで、Mikaさんががんになって受けたマイナス面の影響を教えて下さい。

Mika 退院してから、見た目の問題で外に出たくない時期があったことです。1年遅れで普通の高校に行く選択肢もありました。
ただウィッグを付けていたので、修学旅行はどうしようか、体育祭にも出たくない・・・こういうことを考えて、最終的には通信制の高校に行くことを決めました。

ー学生生活を楽しめる心持ちではなかったんですね。

Mika そうでした。今考えるとオープンにしていたら、ちょっとは違っていたのかな。隠すためにいろいろ頑張っていたので、がんになったことやウィッグをつけていることを言ってたらもう少し楽になっただろと思いました。

ー今は自身ががん体験者であることを話すのですか?

Mika 看護師になりたと思うきっかけが、自分の入院経験だったので学校の友だちに話すようにしています。

ーがんを経験した時に、今考えるとこうしておけばよかったと思うことはありますか。

Mika やはり、ちゃんと自分ががんになって、副作用で髪が抜けてしまったことを言うようにしておけばよかったです。それは中学のクラスメイトや、高校の時のバイト先の人も含め、当時関わっていた人たちにです。伝えていたら、少しアクティブになれたかなと思います。

ーでは最後にMikaさんが感じるAYA世代特有のがんの問題を教えて下さい。

Mika 今までいろいろ話してきましたが、見た目の問題は大きいと感じます。特に中学、高校時代は“オシャレもしたい”、“お化粧もしたい”、“買い物もしたい”とそれが青春みたいなところをがんになり抗がん剤の副作用で肌が黒ずんでしまったり、髪が抜けてしまったりで青春を謳歌出来ませんでした。よって容姿に関わる問題は非常に大きいです。

ー本日はお話いただきありがとうございました。

[インタビュアーコメント]
誰でも見た目(アピアランス)の部分は気にする点です。しかし、10代の多感な年頃の女性であれば、髪が抜けたショックや、オシャレが出来ない辛さは より一層大きいのではないかと感じました。こうした見た目の問題が原因で積極的に行動出来ないといったことも繋がってきます。友達と疎遠になってしまったり、恋愛で消極的になってしまったりと。ただ、その治療の跡はがんと闘った跡でもあります。見た目の問題が存在すると共に、闘った跡でもあるのだと知ってもらえたらと思います。

AYA世代とは?

AYAとは、Adolescent and young Adult(アドレッセント アンド ヤング アダルト)の略であり、「思春期と若年成人」という意味です。AYA世代とは、一般的に15歳~29歳(欧米では39歳)を指します。AYA世代のがん患者は、治療中やその後の生活の中で、就学、就職、就労、恋愛、結婚、出産など人生のターニングポイントとなる様々な出来事と向き合う機会が想定され、大人・高齢のがん患者とは異なるAYA世代特有の問題があるとされています。

記事:鳥井 大吾

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