名前:佐藤 小百合
年齢:43
性別:女性
居住:東京
職業:研究所秘書
がん種:肺腺がん経験者
目次
思いもよらなかったがん宣告
今から9年前、胃腸炎ではないかと感じる痛みに耐えかねて、近所のクリニックへ救急で診ていただきました。おなかあたりに痛みを感じていたのですが、偶然にも胸からのレントゲン写真を撮っていただき、そこで「お腹はすぐに良くなるが胸に3cmぐらいの影があるよ。CTのある病院で早めに精密検査を受けたほうがいい」と診断されました。
「胃腸炎かと思っていたのに肺?影ってがん?」
祖父を肺がんで亡くしていたけれど、まさか34歳の私ががんなんて、と、そのときはピンときませんでした。数日間両親や友人に相談していました。一週間後その救急でかかった病院に行きCTをみてもらうと「このデータを持ち至急大きい病院にいきなさい」と言われ、一番早く予約のとれる病院をということで、がん専門病院を紹介していただきました。
様々な感情、そして手術の実施
がん専門病院の診察では、検査に入る前に持参したCTの画像を見るなり、先生はサクッと「私の長年の経験からみて、これは悪性ですね」とおっしゃりました。悪性か良性かわからないから、すぐにその予約した先生に診てもらいなさいとCTの病院の先生に言われ、1人で軽い気持ちで行ったので、少し驚きました。そして「悪性の腫瘍…がんですか?」と聞きますと、「どういうつもりで来られましたか?」と先生から聞かれ、心づもりを伝えると、「そうでしたか。でも、取ってしまえば大丈夫ですよ!」と言われました。この診断の後、術前の精密検査を受けましたが、家族はその診断結果を受け入れられず、家族同伴のもともう一度診断を聞きに行きました。初診から手術までは、とっても早く手術前検査が進みました。6月末に「悪性」と診断され、8月の初旬には手術を受けることができました。自分の罹患により、祖母には「私が代わってあげたい」と言わせてしまったり、家族や周りの友人にはずいぶんと心配をかけてしまいました。それを見るのが辛かったです。
私自身不安もあり、34歳だよ?肺がん?大きさも大きめ?と良からぬことも考える時もありました。「あ、願いって叶っちゃう?このままでは死を引き寄せちゃうかな?」と感じました。まだ小さい子ども達にも家族友人にも、病気による様々な心配や経験をさせてしまう…。過去は変えられない、これは、神からの、体からのメッセージだ!事実をそのまま受け入れて前に進むしか無い!「願いが叶うならば、やっぱりまだ生きたい!!ごめんなさい!お願いします!生きさせてください!!と。「手術」…生命に直接関わる肺の手術ですから、術前は手術による死も考え、子ども達にも一つの物事の考え方・生き方を伝えたく、「ママは強くなるための手術を受けて来るからね!大丈夫だよ!」と言い手術室に向かいしました。私が心配していたら、みんなの心配も増幅させてしまうからね。私が自信を持ち、現実を受け入れ、手術に立ち向かおう。「生きる」を選択するのは私!。むしろ、稀な機会を楽しむしか無い♬念願の女優になったつもりで楽しもうと、手術室の中も、先生がドラマみたいに入ってくるのを見たいと楽しみました。でも悪しからず、まぶたがおかしな感覚?と目をつむったらば…ん、開かない!…真っ暗…と、気づいたら、名前を呼びかけられ「息が吸えません」と伝えてました。その時の看護師さんの返答がとても気に入っていて、事あるごと、その後の数回の入院時に周りの方にお伝えしてますが、「息を吸えなかったらば、吐けばいいのよ~。吐いたら入ってくるから!」なんだかこの言葉は、様々な事に共通していると、大切な言葉をいただいたなと感謝してます。
手術時の念の為のリンパ郭清の病理の結果は、術後1週間で入院中に出ました。残念なことにリンパに転移が認められ、この結果によって、当初の診断ステージⅠからステージⅢのがん患者となりました。「リンパ転移??」先生より、取れるところはほぼ取れましたが、きっとそこにあったがん細胞は少ないと聞いたが、リンパなので全身に回るのかなと思いました。だが、大元は取れた!あとは私次第!と、先生も様々に配慮をして話してくださるし、この配慮に感謝しようと思いました。
「自分」という存在価値
転移結果については、私自身もショックは大きかったのですが、周りの反応の方が大きかったので我慢してしまいました。それまでは子育てや夫婦の悩みも抱えている時間が多く、大切な親しい人をがんで亡くしたばかりという出来事も重なり、「自分の存在とはなんだろう、悩んで悩んで、死にたい」と考えていました。そんな時にがんが「発覚」し、これは偶然ではないと漠然と感じることがありました。その方からのメッセージだと感じ、「がんと診断されましたが、私は生きている!」、と自分の存在価値を考えるようになりました。これは20歳の時に弟が大事故で奇跡的に20日間の意識不明を乗り越え命を助けていただき、片足になってしまいましたが懸命に生きていることが大きく影響していると思います。子供たちもまだ小さい、まだ伝えたいこと、やりたいこともたくさんある!、死ぬなんてことを考えてごめんなさい、まだ生きます、生きかせてくださいとお願いしたり猛省し、様々な本を読んだり自分を客観視し見直し、考えを改め続けています。がんに罹患したことで、本来の私の生き方を、ポジティブ思考を取り戻せたのだと思います。
思いもよらなかった再発
それから経過観察中の4年目、入退院直後から中学受験体制に入り、長男が中学入学した四月、学年役員を引き受け新しい環境を楽しんでいました。その矢先にがんの転移が認められました。しかも両方の肺に細かいがんが広がっていたのです。この事実は、すべての経験の中でも一番のショックでした。ずっと明るく元気な患者だね~と言われてきた私でしたが、この時だけは泣いて泣いて泣いて泣いて、涙がとにかくとにかく止まらない数日でした。先生からは、一生このサイズのままだったらば何にも問題ないくらいだから、大丈夫!と言われました。それを信じ、また新しい環境を、今しかできないことをとにかくするしかないと思いました。子供達には恥ずかしい私の背中を見せられない!当時長男は私に似て自分の思いを表現することが苦手で、自分のしたいことを抑えがちの子でしたので、男の子としてそれはとても将来生きるにあたり不自由になると考え、逆に周囲に指摘され悩んでいた次男の強さを見習い、私自身も私の思い気持ちを表現、伝える工夫をしてきました。
再発から1年半後、一つのあるショックな出来事から、がん細胞は半年間で急成長してしまいました。その出来事はまた私の表現が未熟だったのでしょう、私の感謝が足りなかったのでしょうか、私は私自身の存在価値って?どのようにこの命を生かせばいいのだろうか。半年間で細かく沢山あるうちのいくつかが5mmを超えてきた、これは急遽抗がん剤を投与しなければもう命に危険があると、主治医から2度目の抗がん剤治療を勧められ投与を開始しました。その薬は副作用として、徐々に疲労感が非常に強く出てしまい、生理は止まりホルモンのバランスが崩れたのでしょうか身体中が痛く重く先生にもう辞めたいですと伝え、先生も思うより進行が止まるだけで小さくならないからとQOLを考慮し10カ月で中断となりました。
すばらしい「治験」との出会いと「治験」体験について
投与されていた抗がん剤を中断して、さて、今度は次男の中学の受験!今年はそこに集中するために入退院もしない!と過ごしていると、主治医の先生より、私の体の状態と薬の経験など条件が合う治験者を募集していることを聞きました。でもとにかく体が痛むことなくこの一年は!と動きたかったので、生活に支障がでることは、どんな治験でもなんでもしたくありませんでした。先生との相談では、私は「ありがたいご提案ですが、今年はできません!」とお断りしていました。ですが、先生も真剣に …長い間の経過をずっと見てきてくださっている先生も少し目を潤ませ必要性を話してくださりました。先生が私の現状の良い面、危惧する面を話してくださり、私の意見・希望をじっくり聞いてくださり、化学療法の一つですが免疫療法(免疫チェックポイント阻害薬)の新薬だから、副作用は少ない症例の薬であること…。今しかない!と納得し治験にチャレンジすることになりました。
海外では既に安全性が認められている薬を日本国内で初めて試す、という治療でした。再発前は自分で決定するという姿勢を怠ってきたように反省をいたしますが、今回の治験を受けるにあたっては、自分は子供たちを、子供たちの未来を守らなければいけない、弱い背中を見せるわけにはいかないと、命をかけてチャレンジする!ちょうど受験の次男にもママはまた入退院をするけど、命をかけてお互いにチャレンジしよう!と伝え、両親や友人、周りの皆様に協力していただき、「同意説明文書」にサインをし開始いたしました。治験を受けるにあたり、2回目の手術。もう子ども達も成長したため手術医師、麻酔科医師の説明は子ども達が付き添ってくれました。1回目は20cmの開胸手術でしたが、今回は胸腔鏡手術のため楽なのではないかと思いましたが、小さくなった術後の肺で呼吸をするため痛みと一呼吸ごとの苦しさで1分がとても長い24時間でした。だから普通に戻り呼吸ができる事がたまにとっても有り難く感じます。
ですがやはりその後の管が一本ずつ抜けるたびに回復は早かったです。その後新薬の治験の点滴治療に入りました。薬が体に合うかどうかまた入退院も重なりました。そして、通院での点滴が開始すると他の治験者の副作用について追記されていき、その度に書類にサインをし、重篤な副作用が出た時にはまた改めて確認をされ、取り進めてまいりました。しかし実際私の場合、副作用は非常に軽く、症状としては湿疹と下痢ぐらいでした。化学療法ではありましたが、がん細胞だけを封じ込める作用があり、以前の抗がん剤に比べれば、非常に体への負担は軽く楽でした。
主治医の治験の説明を受け、「これなら受ける!これで治す!」と、納得して治験参加をしました。再発をした時点で通説の生存率は低くなっていたのですが、数パーセントしかない生存率ならば、その数パーセントに入ればいい!と受け止めていました。この治験を受けることができる条件が合う患者さんの確率は30%だそうです。そう考えると、私は本当にラッキーだったと思います。「治験」という言葉から、あたかも人体実験されているのでは?という負のイメージがある方もいらっしゃるようですが、私の場合は、これまできっと皆の命を少なくとも守ろうとの思いで、私の想像をはるか超えた研究をしてきてくださっている先生方、研究者の方々、研究者を支える周りの環境を作ってくださっている方々様々な人の思いの結晶・愛情をたくさん受けられることをラッキーと感じます。治験では自己負担額はかかりません。実際の支払いと言えば再診料としての毎回数百円の支払いでした。ですので治験に参加するにあたり、経済的な負担はまったくありませんでした。
功を奏した「治験」での治療
治験での治療を2年間受けました。おかげさまで治験薬は私のがん細胞をほぼ消してくれました。当初最大で5mmあった細かいがん細胞は、画像検査では今はほとんど映りません。病院では、先生方が患者への症状を軽くするために知恵を持ち寄ってくださり、真剣に病気と向き合ってくださっている姿勢がみえました。情熱をもって時間をかけて新しい薬の研究や開発に携わってくださっていることに感謝です。現在は、経過観察1年になります。
これから「治験」「臨床」を受けられるかたへ
不安を抱かれるかもしれませんが、まずは自分自身が治療内容に納得することです。選択するのは自分自身です。今回、私は、日本で初めての治験に参加しましたが、結果を出すことによって今後この薬が必要な方やその他の研究に貢献できる、という気持ちで臨みました。現在様々な情報や、過去の価値観がそれぞれの個人にあると思いますが、まずはそれらにとらわれすぎないこと。そして、日々の科学の進歩は目覚ましい!ということ。その進歩を9年間の体験で様々な薬や手術を体験し、人間って薬によりこういう変化があるんだと感じ、体の神秘、薬の力も研究をしていました。
ですので、患者の命を救いたい、という研究者や先生方の情熱を信じて納得して受けていただきたいです。どんな時でも、感謝を忘れずに「命は奇跡なんです。奇跡的な命を生きる。そのそれぞれの命に意味がある」という気持ちを強く持ち続けてください。
佐藤さんが大切にされているオードリー・ヘプバーン氏の言葉
※本記事は患者ご本人が体験に基づき主観を述べているものとなり、本サイトが意図するものはありません。