大学生として勉学に励んでいた関口さんに突然病が襲い掛かりました。病名が何かもはっきりとわからない状況での入院、手術。そして長い入院生活が始まり大学に行くことも出来なくなってしまいました。若くして(AYA世代)いくつもの辛い状況を体験し、乗り越えてきた関口さんが感じた事とは?当時を振り返りながらお話をして下さいました。 大切なことに気づかされる貴重な体験談です。是非ご一読ください。
名前:関口陽介さん
年齢:27歳
性別:男性
居住:神奈川県
職業:大学院生
横紋筋肉腫体験者
目次
Q がんが見つかった経緯を教えてください。
お腹とお尻の辺りに違和感を感じたのが始まりでした。違和感と痛みがしばらく続き、地域の中ではわりと大きな救急病院へ受診しに行きました。当時まだ21歳の大学3年生で若いという事もあり、「別にそんなの大丈夫だよ」と帰されてしまいました。
でも、その後もお腹とお尻の痛みや違和感が消えず、だんだん痛みが強くなってきました。別の病院に行ったところ、骨盤の中に大きな腫瘍が出来ているのが見つかりました。その腫瘍がどんどん大きくなり破裂してしまったので緊急手術をしました。その後の病理検査の結果、がんだと分かったというのが経緯です。そこから治療が始まりました。
Q がんの告知を受けた時の心境を教えてください
「横紋筋肉腫」って聞き慣れない病名ですよね。正直、それが何を意味するのかというのは全然分かりませんでした。「横紋筋肉腫というものです」と、ドクターから言われたときは、「何なんだろう?それは?」という感じでした。
後々になって、それは、小児のがんのひとつで、すごく長い治療が必要だというのが分かってきました。言われた瞬間というのは何の事だか全然分からず、「何だろう、それ?」という気持ちでした。
Q 病気が分かったときにどなたかに相談しましたか?
1ヶ月入院してから病名が分かり、その直後にすぐ治療を始めたので、考える余裕も時間も無い状態でした。そのため付き添ってくれた家族以外に相談はしていません。
Q 治療中の事について教えてください
病名が分かるまでに2回の手術を受けました。最初の手術では腫瘍が破裂していたため出血が多く、起き上がれるまでに1週間くらいかかり大変でした。がんと分かってからは、点滴による抗がん剤治療と、放射線による治療の2つを受けました。
抗がん剤治療は11月から1ヶ月おきぐらいにあり、3月終わりから5月初めくらいまでは、放射線治療を行いました。放射線治療が終わってからは、また抗がん剤をやってといった感じで進んでいきました。
Q 抗がん剤や放射線治療はどのようなものでしたか?
抗がん剤については、みなさんも「気持ち悪い」「だるい」といった辛いイメージがあると思いますが、意外と最初は大丈夫でした。最初の数回は、なんとなく、だるいというかちょっと変な感じがするくらいで済んでいて、食事も普通にとれていました。
ただ、あるときからすごく気持ち悪くなってしまい、それを1回経験してしまってからは抗がん剤の点滴をしている間、もう食べる事が出来ませんでした。食事は一応出されますが、食べずに5日間の治療受け、治療が終わってから食べる。それを繰り返すという生活が続いていました。
Q 治療費などの経済面はいかがでしたか?
当時、私はまだ大学3年生で収入が無かったので、親に頼らざるを得ませんでした。そのため、特にすごく大変だったという実感はありません。ただ、親がどのくらい大変だったのかというのは正直分かりません。私の病気は「小児のがん」なので、発病が18歳未満だと基本的に治療費はかかりません。私の場合、健康保険は効きましたが、上限で決められている額が自己負担でした。
あとは、大学の健康保険をうまく使っていました。詳しいことは両親に聞いてみないと分かりませんが、ものすごく高額にはなってはいないと思います。
Q これまでで特に辛かったというエピソードがあれば教えてください。
放射線治療を終え、抗がん剤治療に戻ったときに、手術の副作用か放射線の副作用か分かりませんが、腸閉塞になりました。要は、食べ物を食べても先に行かずに戻ってきてしまい、食べられない時期がずっと続いてしまいました。
結果的に3ヶ月以上絶飲食で点滴だけで生きたという時期がありました。どうやったら治るのかもわからない状態で3か月間過ごすことになり、抗がん剤治療やがんを告知されたときよりも辛かったです。もうあれだけは2度とやりたくないという思いがあります。
Q 精神的な辛さと身体的な辛さではどちらが辛かったのでしょうか?
やはり、精神的な部分が大きいと思います。私の場合は、すごく食べたいという気持ちは無かったのですが、周りで普通に食べているという事実を見るだけで精神的に辛かったです。体の面でも、ずっと点滴をしてチューブが入った状態なので、外出も出来ず、拘束されている感じが辛かったです。
Q 医療に関するご意見があれば教えてください。
先ほど経済的な話が出ましたが、もう少し経済的な負担を減らして欲しいと思います。ただ、国にも無限にお金がある訳ではないので難しいですね。そういった制度的な話の他に、患者は「病気だけ」で苦しんでいるのでは無く、病気になったために「働けない」とか「人間関係がうまくいかない」など、精神的にも悩むことが色々とあります。このようなことにもう少し目を向けてくれたらいいのかなと思います。
Q ご自身が経験されてきた中で、このような制度があれば良かったと思うことはありますか?
治療をしていた1年半くらいの間は入院生活でしたので大学に行けませんでした。病気の治療をしながらなので、今まで通りという訳にはいきませんが、少しでも大学で勉強するような事が出来て、病院の外の社会と繋がる機会が欲しかったです。
今はSNSなどを使えばある程度外との繋がりができますが、もう少し社会との繋がりが欲しかったなと思いました。
Q 現在、何か目標にしていることはありますか?
今、博士課程の3年生なので、今年中に学位を取るという目標が直近の目標です。先の事を見据えると、がん経験者として、患者目線で何かが出来たらというのがあります。
「がん経験者が社会でも認められるという世の中を作りたい」というのが大きな目標としてあります。結果的にそれが、がん経験者にとってもがん経験者では無い人にとっても、いい社会になるのではないかと思っています。
Q インタビューの終わりの一言
発症から7年が経ち、治療が終わってそろそろ5年になります。自分の病気を知るにつれ、今になって、よく大丈夫だったなと思いました。がんの人、がんになった人がどんな思いしているのかというのは、普通の人が分かるのは難しい事だと思います。お互いが100パーセント分かる訳では無いですが、考える事を諦めてはいけないと思いますね。100パーセント分からないという事を踏まえた上で、お互い無関心ではいけない。ちょっとした想像力があると、色んなことが上手くいくのではないでしょうか。
インタビューを終えて
私の不慣れなインタビューにも動じることなく、わかりやすく丁寧にお話をしていただきました。27歳という若さでありながらとても落ち着いている方で、真面目な性格の方だなという印象を持ちました。そして関口さんのお話を聞いていくうちに、心の中にはしっかりとした目標があり、強い意志でそこに向かって頑張っている方であることがよくわかりました。
私が特に印象的だったのは終わりのお話の「ちょっとした想像力」というワードです。自分自身が一杯一杯な時って、相手に対して「ちょっとした想像力」を持てずに、不快な気持ちにしてしまったり、傷つけてしまったりすることがあります。相手の立場になって考える事は本当に大切だと私も思います。
貴重な体験談をお聞かせ頂き本当にありがとうございました。
21歳という自分とほぼ同じ歳で横紋筋肉腫を発症。
突然の聞きなれない病気、辛い検査や治療、腸閉塞による絶飲食。
辛い体験をされたにも関わらず、取り乱す事なく冷静に病気と向き合われる関口さん。
もし自分だったら?と考えると、関口さんの意志の強さを感じました。
本当の苦しさはご本人にしか分からないと思いますが、関口さんと同じように
抗がん剤などの治療を受ける患者さん達の気持ちに寄り添っていけるような薬剤師になりたいです。
また、入院していても社会との繋がりを持てるような環境造りの必要性を感じました。
今回は貴重なお話をありがとうございました。
今回インタビューに協力していただいた関口さんは
若年性がん患者団体『STAND UP』のメンバーとしてご活躍されています。
ホームページリンクはこちらから(http://standupdreams.com/)
若年性がん患者さんの交流の場を提供や、フリーペーパーによる情報発信など、がんとともに生きていける社会作りを目指した活動をしています。
こちらをご覧いただくことでがん患者さんへの理解がより深まると思います。
AYA世代とは?
AYAとは、Adolescent and young Adult(アドレッセント アンド ヤング アダルト)の略であり、「思春期と若年成人」という意味です。AYA世代とは、一般的に15歳~29歳(欧米では39歳)を指します。AYA世代のがん患者は、治療中やその後の生活の中で、就学、就職、就労、恋愛、結婚、出産など人生のターニングポイントとなる様々な出来事と向き合う機会が想定され、大人・高齢のがん患者とは異なるAYA世代特有の問題があるとされています。