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2017年緩和医療学会・レポート
オンコロの赤星です。鍼灸師として働く傍ら、オンコロのWebサイト更新やメディカルイラストを担当しています。6月22日、23日に横浜で開催された緩和医療学会に行ってきました。緩和医療の中でも補完代替医療、心のケアに興味がある私が昨年との比較をしつつ、レポート致します。
緩和医療学会とは
がんやその他の治癒困難な病気の全過程において、人々のQOL の向上を目指し、緩和医療を発展させるための学際的かつ学術的研究を促進し、その実践と教育を通して社会に貢献することを目的とした学会です。(日本緩和医療学会HPより引用)
そもそも緩和医療(緩和ケア)とは
厚生労働省は、2002 年のWHOの定義、「緩和ケアとは、生命を脅かす疾患によ る問題に直面する患者とその家族に対して、痛みやその他の身体的、心理的、社会的な問題、さらにスピリチュアル な問題を早期に発見し、的確な評価と 処置を行うことによって、苦痛を予防し和らげることで、QOLを改善する行為」を以って本邦の緩和ケアの定義とすると明言しています。
(日本ホスピス緩和ケア協会より引用)
昨年からの変化・進歩
まず昨年の学会テーマは「~あなたらしさに寄り添って~”愛と思いやり…そしてユーモア…”」でした。今年のテーマは「集い対話する 疾病と共に健やかさを生きるために 社会の中で活きる医療となるために」です。
昨年からの変化として、補完代替医療・教育・AYA世代の対策が深められ、地域社会・共存・対話がより重視されていたと思います。
まず「補完代替医療(CAM)」では、使用実態や発表関連要因について、また音楽療法、宗教団体が運営する緩和ケア施設での僧侶の関わりについての研究発表がありました。
注目すべき点は、患者がCAMに期待するものは、進行抑制より免疫力向上や緩和を目的としたものであるという事です。使用を開始するきっかけは、インターネットより家族や友人のすすめが多い事、またCAMを使用する人は高学歴・女性・若年層で多い事が分かりました。患者家族も、高学歴・心の状態が低下している・付き添いなどが毎日できない人にも多い様です。
音楽療法は、苦痛尺度や呼吸脈拍等が優位に改善したとの報告がありました。
僧侶によるスピリチュアルケアは、教え導く事がない様子、医療者ではない人と生死を深く話せる事が喜ばれていました。
また、ポスター発表では鍼灸師による鍼灸治療の発表が増加していました。漢方では、精神科の医師による東洋医学に基づいた脈診などを取り入れた、具体的な処方が紹介されていました。これは注目度が高く、聴講人数も多い発表でした。
「教育」に関しては、緩和ケアに関わる医療者の教育と、がんの親を持つ子供に対するサポートがより充実していました。昨年まではパンフレットしか有りませんでしたが、書籍化されていました。
近年取り上げられる事が増加しているAYA世代については「AYA世代にはいい子が多いが、彼らにはその役割認識はあるのか。また、それはいい事なのか(過剰適応ではないか)」等、より一層患者理解に繋がるテーマも扱われました。
つぎに、今年は「地域社会・共存・対話」がより重視されていました。地域社会と関わりを持ち、コミュニティー(共同体)で死をとらえる必要性や医療・社会と共に生きる必要性(共存)が提案されていました。
死を隠さない事。看取りをする経験がないと、今後死をみていけない。受け止められなくなる恐れも生じる。鋼の様に強い力ではなく、柳の様に柔軟な力〜レジリエンス(折れない心)〜を育む必要がある、と述べていました。
対話に関しては今年初となる「ケアカフェ」が開催されました。ケアカフェとは、医療者・介護者・福祉者が「顔の見える関係」を作り、「日常の相談ごと」を話し合う場 です。1テーブル4〜5人で話しあい、1人を残して他の人は次のテーブルに移り、会話を続けるというものです。普段街で見るカフェでの井戸端会議の様な雰囲気で、「生死」「痛み」などテーマに話し合われていました。この様な場が医療学会に設けられ、PAL参加として患者ネームカードを付けた方も多く参加していた事は、大きな進歩だと感じました。
人間に対してのケア・ユマニチュード
数多くあった発表の中で、私が感動したものをひとつご紹介します。ユマニチュードとは、フランスで生まれた包括的認知症ケアの手法です。フランス語で「人間らしさ」の意味で、具体的な手法で構成されています。介護者、被介護者とのコミュニケーションの改善を目的としています。
今回は、入院ベッドの上での入浴技術が実技として舞台上で披露されました。シャワーヘッドに袋状のタオルを被せ、水圧や水音の恐怖感を失くす、タオルを患者の体の下に敷き、息のあったタイミングで力を入れずに体位変換をする、顔を見ながらずっと優しくしゃべりかける等沢山の技術が盛り込まれていました。
モデルになった男性は、「とても気持ちがよく、毎日でも受けたい」と言っていました。ICU(集中治療室)や意識がない方にもこの手法を用いた入浴を行うと、頬の赤みが出たり反応や発語が出るそうです。緩和ケアとは「片脚を棺桶に突っ込んでいても、もう片方の出ている脚を踏みつけてはならない」と定義していました。
参加してみて
CAMに関しては、行い手と主治医の連携や質の向上が重要だと感じました。患者の治療状況について理解し、行うケアについても取り敢えず取り入れるのではなく、患者が満足できる上質なものを提供する必要があります。
地域社会に関しては、まだ課題は残ると感じました。芸能人ではがん告白をする人がいますが、一般人では未だ病気を告白しずらい環境です。死はイベントや美談でもなく、基本的にはやはり悲しいものです。だからこそ、深い話も気分転換できるようでるな話も受け止めてくれるような環境があると有難いかもしれません。
ユマニチュードに関しては、近年の入浴介護の動画が流され、患者の泣き叫ぶ映像に思わず涙が出ました。「生きている人・人間として扱うケアをするという信念のもと、技術を磨き工夫されたケアに変わる事で、ケアの時間はリハビリや喜びにも変わる」という主張は、実際に舞台上で見せて頂きました。
ケアとは本来最も古い医療であり、動物が生まれたての赤ちゃんの体を舐める様な行為である。それは、生物学的にも、社会的にも自分は人間であると感じるものであるそうです。
私の考える緩和ケアは、特別に効く薬だけでなく不安な気持や辛い体が楽になる全てだと考えます。それは、生きる為とは言え辛い思いをさせている体と心にしてあげられる、ねぎらいやご褒美です。
今回の学会に参加して、ケアを実際の現場に届ける為には信念を忘れず、技術を磨き続けなければいけないと痛感しました。患者だけでなくケアに携わる人にもレジリエンス(折れない心)は必須です。病気と向き合っている人にも、心がほぐれる時間を感じて貰うのが私の目標です。