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急性骨髄性白血病と闘った”みぃみ”の記録

  • [公開日]2019.01.15
  • [最終更新日]2019.10.21


息子、瑞騎(みずき 愛称:みぃみ)が2017年2月6日に永眠しました。3歳2ケ月でした。2歳5ケ月で急性骨髄性白血病を患い、辛い治療も笑顔で頑張っていた瑞騎。

2017年3月25日、四十九日法要を無事に執り行うことができましたので、瑞騎の頑張りを残していきたいと思います。

みぃみ、天国でばぁばにあえましたか?

苦しくないですか?

思いっきり走れていますか?

食べたいもの食べれていますか?

みぃみからもらったパワーをエネルギーに変えて、ママも頑張ります。

私達の子どもに産まれてきてくれてありがとう。

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今回、ご縁があってブログに記載したみぃみの闘病についてを連載していただけることになりました。

とっても強かったみぃみの病気。急性骨髄性白血病 “M2”。

同じ病気と闘っている人が一人でも多く、家族の元に帰れますように。
そして、家族が笑顔で過ごせる日が来ますように。

みぃみの頑張りが私達だけでなく、たくさんの方に届きますように。

母 たにかわ まりこ

2016年5月 診断結果

5月9日 病は突然に

2016年5月。

小さな頃から、熱が上がりやすく下がりにくいと言われていたみぃみ。今回は風邪症状もある中、熱が上がったり下がったりしながら6日目を迎えたため、気になって5月8日20時ごろ総合病院へ急患で連れていきました。

血液検査、レントゲン・・・

レントゲンで肺炎を患っていることがわかったため、入院手続きを始めました。

血液検査結果をみた先生の顔が変わりました。

「お母さん、瑞騎くんの血液ですが、明らかに正常の範囲ではありません。うちの病院よりも子どもの血液の事を専門にやっている病院に行った方がよいと思います。今、直ぐに受け入れてもらえるか確認をしますが、よろしいですか?」

よろしいですか?良くないわけがないじゃない・・・

「お願いします」

そして救急車で埼玉県立小児医療センターへ運ばれました。日付は変わって9日AM3時でした。

5月10日 入院と不安

9日の夜中に埼玉県立小児医療センタへ着いてからすぐに検査のやり直し。

眠いのに身体を抑えられながら採血やレントゲン・・・

そして気がついたら日が昇っていました。

病院の入院手続き。
・この病棟は両親と15歳以上の兄弟しか入れません。
・24時間看護なため、夜の付き添いは特別な場合を除き不可です。
・面会者が感染症状(せき、鼻水、ねつ、下痢)がある場合は面会をお断りする場合があります。

・・・絶対風邪をひいてはいけない。絶対ほずみさんに風邪や流行り物の病気に罹らせてはいけない。
じゃなきゃ、みぃみが1人になっちゃう。

私達が居ないと泣きながら暴れたみぃみ。トイレで私が外す時もみぃみに安全ベルトをしてから。

みぃみも不安、私達も不安。

5月13日 手術とCVカテーテル

病気の説明を受けて、治療の説明を受けて、すぐに輸血の同意と、手術の同意・・・

入院から数日。5月13日に胸のところにCVカテーテルが入りました。

点滴、採血、輸血・・・みぃみが生きる為に必要な全てをこの「CVさん」に託して。

5月15日 だんだん笑顔に、そして、仕事

だんだん生活のリズムが出来てくると少しづつ笑顔の時間ができるようになりました。

保育園に慣れるまで半年かかったみぃみが、わずか1 週間で泣く時間がこんなに減るなんて・・・

そして、私は仕事の件を先生に相談しました。

「うちは共働きなんですが・・・」

すると先生は

「治る前提で治療しています。だから、退院後の生活を考えてください。仕事は辞めなくていいんですよ。もちろん、だからって全く面会に来なくなることは無いでしょうから、お父さんとお母さんの出来るペースで面会してくださいね」。

この言葉に本当に救われました。

結果論かもしれませんが、仕事があったから私の精神状態が保てていたのも事実です。

5月18日 生活リズム

夫婦でお互いの上司に相談して、どちらかが毎日みぃみの病室に行くように調整をしました。

旦那くんは毎朝、自分の朝ご飯用のおにぎりを持って、出勤前にみぃみの朝ご飯を食べさせました。

平日3 ~ 4 日は旦那くんが仕事帰りに寝かしつけ、1~2日は私が行くようになりました。

休日は、ほぼ私が面会していました。

ちゃんと毎日来てくれることがわかるとみぃみも安心してくれたみたいです。

5月19日 抗がん剤

みぃみは抗がん剤の投与が12 日間終わるとそのあと約3 週間は輸血や投薬がないかぎりは点滴が外れていました。

パパママが来ると、ベッドから降りられる生活。すっごく嬉しいお顔。

2016年6月 入院生活

6月5日 副作用

抗がん剤の副作用、脱毛。

ある日突然ごっそり抜ける毛・・・

でもそれ以外は、ほぼ副作用がなく(事前に吐き気どめ等をつかっていることもありますが)元気に遊んでいました。

プレイルームも充実していて、病棟保育士さんもたくさん遊んでくれたし、お友達とも遊べました。

6月8日 歯磨き

手前味噌かもしれませんが、みぃみは本当に優秀な子でした。

「うごかないで待っていて」といえばしっかり待てる、「歯磨きして」といえば自分で用意して磨く。

2 歳児なのに・・・えらすぎる。「さすがらっこ組のおにぃさん!!」

↑ この言葉は、ウイングシティ保育園のらっこ組に進級したことを誇りに思っていたみぃみにとっても良く効く魔法の言葉です。

6月18日 アデノウィルス

抗がん剤治療中、白血球が減少するのですが、そんな中「アデノウィルス」とやらが、みぃみの身体に出てしまいました。

要するに下痢。

通常の子ならなんてこと無いのですが、なにせ白血球がいない中でのウィルス発生。

面会はガウン着用。病棟内は院内感染を防ぐため、まるで犯罪者扱い(笑)

2016年7月 ドナー移植

7月1日 7月に入り

抗がん剤での治療だけでは根治は厳しく、移植が必要と言われました。

先生に「ドナーはやられますか?もしやる気があるなら、まずはご両親を検査させてください。」と言われて、旦那くんと2 人で検査。

そんなドキドキのなかも笑顔でいてくれるみぃみに感謝。

7月15日 ママじゃなくてパパがいい

ずーっとママ大好きっコだったみぃみがこの頃から「ママじゃなくてパパがいい!」と言うようになりました。

正直ショック!そして理由を聞いてみたところ・・・

「だってパパはiPad あるんだもん!」

なるほど。この言葉で私、Wi-Fi を契約(笑)

7月29日 ドナー検査結果

骨髄ドナーの検査結果が出ました。

私たち親だけでなく、ほずみさんがドナーになることも考えて、3人で検査をしていました。

ここでビックリ。通常、兄弟で1/4 の確率、親子で1/32 の確率、他人なら1/10000 の確率と言われている骨髄ドナーになれる確率。

なんと、私も旦那くんもほずみさんも、みぃみに提供できるドナー候補となれることがわかりました。親族から提供が出来る!

治る確率(というよりは副反応でなくなるリスクか減る)が上がる!ような気がして少し安堵しました。

私が一番近いので、私から提供です。

2016年8月 家族との時間

8月6日 外出許可

入院して約三か月。

ずっと病室だったのですが治療の合間にちょっとだけ外出許可がおりました・・・

が、真夏の35度の中を自宅に帰す勇気はなく、病院の待合スペースとコンビニで過ごす事を選択した私たち。

テレビ電話はしているけれど、生のほずみさんとみぃみが会うのも3カ月ぶり。久しぶりの追いかけっこやおままごと。

本当に2人は楽しそう。

コンビニでは欲しいものをたくさん買ってもらい、大満足。家族との時間が楽しめました。

そして、またすぐ治療です・・・

8月13日 とうもろこし

持ち込みは基本OK だった時期は、みぃみの大好きなとうもろこしを持っていってました。

1本のとうもろこしを4等分して持っていくと、ペロリと平らげます。

1個目をだして「まだある?」 2個目だして「まだあるよね?」3個目だして「まだある?」

・・・「つぎが最後だよ」と伝えると

「そっかー、じゃぁあとでにしよっか」

・・・30秒後
「とうもろこし ちょーだい」

(笑)

可愛すぎるみぃみ。

8月28日 ねぇね、おたふく騒ぎ

まさかのほずみさんおたふくかぜ疑惑。

・・・旦那くん、過去に罹っていない

・・・私、過去に罹っていない

ってことで、みんな一斉におたふく(ムンプスウイルス)の抗体検査。

抗体が確認できるまでは、みぃみの病棟には入れません。

そして、移植のドナーの私がもしムンプスウイルスの抗体がなく、ほずみさんがおたふくかぜでかつ、私がうつってしまった場合・・・最悪、みぃみの一番良いタイミングで移植が出来ない・・・。

って事で、旦那くん実家へ仮住まいさせてもらいました。

検査から4日後、結果が。
まず、疑惑のほずみさん・・・おたふくかぜでした。

次に、私・・・抗体がありました!ほずみさんが一歳の時、一緒に予防接種しておいて良かったー!!

最後に、旦那くん…抗体なし!!!
Σ(゚ д゚ lll )

ほずみさんのおたふくがうつる可能性有り!
Σ(゚ д゚ lll )Σ(゚ д゚ lll )

よって、ほずみさんの症状か治った後、潜伏期間の3 週間は面会不可!!
Σ(゚ д゚ lll )Σ(゚ д゚ lll )Σ(゚ д゚ lll )

この日から私のみが面会OK 。毎日顔を出せるように頑張りました。

2016年9月 CVカテーテル

9月5日 CVさんがいなくなる

9月5日は私達の結婚記念日。

まさかの事件が起きました。

大事な大事な「CVさん」をみぃみが抜いてしまったのです。

汗っかきのみぃみ。

いつもCVさんをカバーしているシートを剥がして怒られていましたが、とうとう、CV 自体も・・・。

それにしても、この笑顔。

無くなったことがよほど嬉しかったのでしょう・・・。

でも、CVさんがなければ、いまのみぃみは生きられない。すぐにまた手術ですよ・・・

9月6日 CVさんがいないと

必要な薬を末梢の血管からいれることになります。

これが痛くて泣くわけで・・・。

ほらね、大変なことをしてしまったでしょ?

それでも、こうやって笑顔で遊んでしまうみぃみは偉いです。

9月9日 2度目の手術

2度目の手術。

再度CVカテーテルを入れなおします。

みぃみはこの手術着が嫌い・・・。

だからギリギリまで手術着のうえにTシャツを着ていました。

今回も無事に終了。


9月10日 おにぎり

みぃみはおにぎりがだいすきでした。

特に新幹線のおにぎり。

たまにつくってあげると大喜び。


9月25日 ねぇね面会

みぃみの大好きな、ねぇね(ほずみさん)の面会。

といってもガラス越しですが・・・。

声も聞こえるし、顔もちゃんとあわせられる。

いつもはテレビ電話ですが、ふたりともこんなときはすっごくニコニコです。


2016年10月 骨髄移植

10月1日 運動会

10月1日はウイングシティ保育園の運動会の日。

保育園の先生からメダルを頂きました。

場所は違えど、頑張っているみぃみにご褒美。



10月6日 頭を冷やす

「みぃみ、おねつがあるのー。つめたいやつちょうだい」

とナースコールを押して看護師さんにお願いしたみぃみ。

もらうと、いきなりこの使い方(笑)

10月15日 食欲の秋

抗がん剤をしても食欲は落ちなかったみぃみ。

本当によく食べてくれました。

夏はスイカ、とうもろこし。秋はバナナやみかん。

10月19日 いよいよ骨髄移植

いよいよ骨髄移植が近づいてきました。

ドナーは私。

みぃみは無菌室に入るため、こうやって窓越しにもねぇねに会えなくなります。

骨髄移植、30日で結果がでて、うまくいけば100日以内で退院。

親族からの骨髄提供だからきっとうまくいく!

みぃみが帰って来る!!誰もがそう信じていました。

10月23日 最後の大部屋

みぃみはこの大部屋が大好きでした。

1号室=「1号さん」とよばれ、みぃみのほかに、しょうちゃん、たっくん、やまちゃん、ゆかちゃん、りなちゃんが居た賑やかな部屋。

1歳から4歳の子で年齢も近いため、一緒にお話したり、歌を歌ったり。

これから無菌室生活が始まります。

10月25日 個室と放射線治療

個室にうつり、骨髄移植の準備が始まりました。

放射線治療です。

無菌状態でストレッチャーで運ばれるみぃみ。

不安そうなみぃみでしたが、「飛行船にのって行こうね!」と言うと目を輝かせて、楽しみにしてくれました。

何事もポジティブなみぃみに感謝でした。

10月26日 いよいよ骨髄採取

☆今後骨髄ドナー登録する方、現在ドナー登録していて依頼が来る可能性がある方には是非読んでいただきたい体験談です☆

☆長文です☆

私は10月26日に入院して、27日採取。28日には退院。二泊三日でした。
今回は親族がドナーということもあり、同じ病院で、病棟と主治医は違いました。
これは決まっていることで、子供の近くにいると、頑張り過ぎてしまう可能性があったり、主治医が同じだと、平等にみるとはいえ、どちらかの患者を優先してしまう可能性があるからだそうです。

まさか、30 歳過ぎてから小児科の診察券をつくるとは・・・
まさか、点滴の針を止めるのが、くまちゃんがいるテープをつけることになるとは・・・
まさか、すっぴん・ツインテール・ジャージ姿で息子の病院をうろつくことになるとは・・・

ツッコミどころは満載です(笑)

26日に最終の血液検査をし、全身麻酔の説明を改めて聞き、翌日を迎えるのみ。
意外と小心者な私はあまり眠れませんでした・・・

27日は旦那くんも時間には来てくれて、手術室までは自分の足でテクテク。
手術着は3L(笑)だって子供が基準だから。

旦那くんに「行ってきます」と言い、手術室には入り、手術台に自分で登り、先生が来たなー、麻酔が入るなー、と思ったら、あっと言う間に麻酔で眠りました。

前日あまり眠れなかったせいか、日頃の疲れがたまっていたせいかぐっすり。
麻酔をかけてから体制を整え、腰のあたりから骨髄を採取。(と説明を受けました。)

気がついたら自分の病室。そしてなかなか起きられず(笑)
「起きるまでは付き添いを」と言われたらしく無駄に旦那くんを付き合わせました。

みぃみ、1人にしてごめんね。

起きたら先生がきて「予定より多く取りました。すこし骨髄液が薄かったので。でも、400 ミリしっかり取れましたので大丈夫です!」とのこと。

安心安心。

心配していた痛みはほぼ無く、痛み止めも特に追加せず。

想定以上にあっけなく終わりました。

色々な骨髄ドナー体験談があると思いますが、これも一つ。 デメリットといえば、何回か病院へ足を運ばなきゃならなかったり、全身麻酔だったり・・・。

でも、この小さな行動が1人の人間の一生を左右する。

ドナーが見つからず、移植にチャレンジできないまま時間がすぎる人もいる。

骨髄ドナー登録、各献血ルームで簡単にできます!!

10月27日 骨髄移植

私の骨髄がみぃみの身体に入る時。

100日過ぎたら治る!頑張れ私の骨髄!そう思っていた。

・・・そして、意外と400ミリを採取した身体はフラフラ。貧血のため自分の病室で休みました。

11月 末梢血幹細胞移植

11月5日 医師からの説明

「みずきくんの白血球がなかなか増えてきません。これはお母さんの良い細胞とみずきくんの悪い細胞が戦って相殺してしまっているからと考えます。援護射撃の位置付けで、もう一度、移植をさせてください。今度は末梢血幹細胞移植です。通常、移植にはたくさんのリスクも伴いますが、みずきくんの全身状態がよいことを考えれば、なるべく早いタイミングで移植をしてあげたいのです。」

「お願いします。」

「それでは、11月21日に末梢血幹細胞移植です。20日に入院してください。」

11月20日 母再び採取へ

大切な親友ひぐっちゃん結婚式の当日。

私は挙式だけ参列し、みぃみの病院へ入院。

11月21日 母、末梢血幹細胞採取

☆こちらは骨髄ドナー(末梢血幹細胞移植)登録を考え中の方に是非読んでいただきたい内容です☆

21日、22日の2日間で末梢血幹細胞採取。
採取前の白血球を増やす注射を2~3日打ちます。順調に増えていることを確認した上で採取です。

左腕から血液を抜き、機械で必要な成分を遠心分離して採取。右腕から戻すという工程です。

毎日注射をすること。しかも3ミリ。意外とこれが痛かったです。

こんなこと言ったら失礼かもしれませんが、先生の上手下手が顕著にでました(笑)。

間違いなくみぃみの主治医の先生が一番上手でした(笑)。

当日、私の血管は結構太く立派なので安心していた先生方。

しかし、血管が曲がっているらしく、長く太い針だとうまく採取が出来ず、続々と先生が集まってきました。

今日、採取できなければ、みぃみの今後に大きく関わることを感じます。責任重大な私と先生たち。

結果、針を細くして、時間をかけて採取することに変更。これはうまくいきました。
2日間で必要な量の10 倍の細胞を採取できました。

痛みは全くなく、血を抜かれる感覚が不安だった私でも全く貧血にはならず、全く副作用なし!

しいて言うならば、採取中は両手がふさがっているためご飯が食べられないことが不便なくらい。

骨髄ドナー登録は、献血ルームで簡単に行えます!!

11月22日 先生からの衝撃の言葉

先生からの衝撃の言葉が。

「先程、みずきくんの検査結果がでましたが・・・。
お母さんの細胞はみずきくんの中に残っていませんでした。要するに拒絶されました。
拒絶される確率は10パーセント以下とお伝えしてましたが・・・。」

すごくがっかり話す先生。

「それだけ、みずきくんの白血病細胞が強い事は間違いありません。今回、お母さんから通常いれる量の10倍の細胞が採取できています。とにかくいれましょう。」

そう、1回目の移植は失敗。

2回目も私からの移植・・・。旦那くんやほずみさんのほうが拒絶される確率が高いと判断されていた為、選択としては間違いは無いけれど・・・。この判断自体が間違いではないか??

とはいえ、2回目ができることは稀なこと。機会を貰えただけでもありがたいと思わなければ。

本人はこんなに元気なのに・・・。

2016年12月 3度目の移植と環境の変化

12月1日 3歳の誕生日

どんな状況でも誕生日はくるわけで。

たくさんのプレゼントが届いてニコニコのみぃみ。

持ち込めるのは、除菌(拭きとりシート)できるもの。

ブロックや本、電車やおままごと。本当にたくさんのプレゼント。

ベッドの上の生活が明るくなりました!

12月3日 白血球は・・・血小板は・・・

数字は上から
白血球、赤血球、血小板。

相変わらず、移植した私の細胞はみぃみの体内でうまくいってなさそう。
そして、そして血小板が急に減ったので緊急で輸血。

まだまだ、元気いっぱいなみぃみ。

私がちゃんと説明します。「みぃみ、怪我をすると、血が出るよね?今、血を固める力が弱っちゃったみたいなんだよ。だから、今、怪我したら血が止まらなくなって、大変なことになっちゃう。黄色い輸血(血小板)するから、それまでは、走ったらダメだよー」

「はーい!」

そう言ってブロックを始めました。本当に聞き分けの良い子です。

12月9日 母、長期休暇をとる

2回目の移植が決まったとき、会社へ介護休暇をいただきたい旨、お話しました。

なるべく迷惑をかけないように・・・と思い、あらかた引き継ぎも済ませ12月9日が最終出社。

「休みを取って、精一杯頑張ってね。仕事はいつでも出来るから!」そう送り出してくれた先輩、
上司に感謝です。

子供たちへとオモチャまで頂き。。。恵まれた環境に本当に感謝。

私が仕事を休み毎日病院に来る事をみぃみに話すと、本当に喜んでくれました。

1人でここまで頑張ってきたことを褒めてあげたら、テンションが上がり、私がトイレに行っているあいだに就寝(笑)

12月10日 3回目の移植

介護休暇が決まると同時に、先生から話があったのは2回目の移植がうまくいかなかったこと。

「残念ですが、今回も( 私の白血球が) 生着しませんでした。。。」

「みぃみはどうなるんでしょうか。」

「前回の説明で、3回目の移植は出来ませんとお伝えしましたよね?それは、正直に申し上げると3回目の移植をこれだけ短期間に出来る状態の子はいないからです。
強い抗がん剤、放射線治療に耐えて、全身状態を維持出来た子はこの病院内にはいません。つまり前例がありません。

・・・ただ、今回は、みずきくんが私達医師が想定する以上に全身状態がよいことから、3回目の移植、臍帯血移植も視野にいれてはどうか?という提案です。」

「3回目の移植で根治する確率は何パーセントでしょう?」

「正直、わかりません。少なくとも10パーセント以下であることは間違いありません。そして、この移植をきっかけに亡くなる可能性は40パーセント。
移植後100日以内に亡くなる可能性は50パーセントです。なので、考え方を変えて、この元気なときにやりたい事をやらせてあげるというのも、ひとつの方法です。」

「移植をしなかった場合、みずきはどのくらいで亡くなりますか?」

「・・・早ければ数週間。もてば数ヶ月です。」

旦那くんと私。
思った事はひとつ。
「移植をお願いします。」

みぃみなら乗り越えられる!!

12月15日 臍帯血移植

3回目の移植。

今回はドナーがO型の男の子。
うまく行けばみぃみはA型からO 型へ。

移植後も少し経つとこの通り。ちゃんと遊べていました!!

母は介護休暇が始まってからは、ほずみさんを保育園に送り出して8時半くらいには病院へ。
その後寝かしつけをして9時くらいに病室をでる生活。

忙しいはずなのに、なんだか充実した毎日です。

12月16日 食事

個人的にはみぃみが3回もの移植を頑張れたのは食べることを諦めなかった事だと思っています。

埼玉県立小児医療センターは食事を個人個人で選択できる仕組みをとっており、その子の状態に合わせてだしてくれました。

素麺、ポテト、イチゴジャムとパン。

移植後は殆んど食べられない子が多い中、半分くらいは口に入るみぃみ。

口内炎ができにくいように、苦い薬も飲み、歯磨きやうがいも決められた通り頑張れたからこそ、食事も美味しく食べられる。

そんな頑張り屋を看護師さんたちが一番褒めてくれました。

12月19日 元気すぎる

点滴、心電図、酸素を測る線…とにかく色々繋がっているのに、走り回るみぃみ。

いつもこんなにぐるぐるに絡まってしまいます。

「みぃくん、またぁ?(笑)」と看護師さんは笑いながら毎日何回も何回も直してくれます。

12月27日 埼玉小児医療センターの移転

蓮田にあった埼玉小児医療センターがさいたま新都心へ移転になりました。

もちろん前から決まっていた事です。

治療が始まった頃には「移転のときには退院して、通院治療だね」と言われていたみぃみ。

それが移植を3回も続けてしている間に、今の病院から新病院へ引っ越しをしなければならなくなりました。

病院側はなるべく移転のときにリスクが少ないよう、患者が外泊や転院できるようにしていましたが、みぃみの場合は治療がうまくいかなかったことが想定外だったらしく・・・。

引っ越しは前々から準備が必要でした。

みぃみが混乱しないように説明を繰り返し繰り返ししました。白血球はゼロ。この状態はリスクだらけですが、無菌室から出るしかない。

蓮田から新病院へは救急車で移動です。

みぃみ1 人に医師と看護師が1人ずつ同行します。親はもちろん同席できず、ひやひやしながら面会時間まで待つことになりました。

新病院の無菌室に行くと元気いっぱいのみぃみが。

「マーマー!ママがいったのまちがってたよ。きゅうきゅうしゃまでは、せんせいのだっこじゃなくて、ベットだったー。」

しっかり私の話しを聞いてくれていた証拠。

同行してくれた先生からも「とてもいい子だったし、本人は楽しんでました」と言ってもらえました。

新しい環境でまたスタート。

12月29日 移転後も

変わらずでした。

黙々とブロックであそんだり、YouTube みたり。

YouTubeは、カバがスイカを食べるとこ。ちびまる子ちゃんの実写版。アンパンマン。仮面ライダーエグゼイド。

2016年も最後。この頃からiPadを私も上手に活用するようになり、みぃみが欲しいお菓子をiPadで選ばせ、下のコンビニに買いに行くようになりました。

2017年1月 外出

1月1日 年末年始

なかなか血液の数値が良くならないまま迎えた年末年始。31日には大好きなパンに落書き!

2017年1月1日は朝からブロック!!

1月13日 衝撃の1月13日

先生に両親で呼ばれるのはあまり良くないことが多かったし、主治医の先生と話していてもポジティブな話はなかったので、心の準備はできていましたが・・・

「みずきくんの末梢血から白血病細胞が出ています。これからは治療を切り替えましょう。みずきくんが行きたいところ、やりたいことを優先してください。私達はなるべくサポートします。」

要するに、「治りません」の宣言。

・・・残された時間がどのくらいあるのかわからないけど、たくさんの笑顔を見たいから、優先順位をつけて色々やります!

1月14日 帰宅準備

みぃみにお話。

「先生が、みずきくんは頑張ってるから少しお家に帰ってもいいって」

「!!!やったー!!!」

すごい喜び方。

我慢していたこと、たくさんあったのでしょう。

1月18日に12時から15時まで自宅に帰ることになりました。
「外出」です。

「せっかくだから、パパ、ママ、ねぇね、おじいちゃん、おばあちゃん、水戸のじぃじ、みんなに来てもらって、なにか食べようか?」
と私が提案。

「えー、パパと、ママと、ねぇねがいい。みんなきたら、みぃみ、つかれちゃうから」

自分の身体の状態をよく把握していることにびっくりした言葉。
みぃみもきっと状況は分かっていたはず・・・

半袖生活から1 月の寒い外に出るので、みぃみに手袋を買いました。
・・・靴下と間違われました(笑)

1月18日 待っていた外出

1月18日、入院後はじめての外に出ました。

車から見える景色に、一つ一つ反応するみぃみ。車が走っていること、
木が風で揺れていること、道路の段差で車が跳ねること、お花が咲いていること。

保育園でほずみさんを迎えて、担任の先生にちょこっとだけ顔を見せて帰宅。

リクエストの焼きそばを食べながら、ねぇねと遊ぶ遊ぶ遊ぶ。

アイス
おじいちゃん、おばあちゃんからアイスの差し入れ。

楽しい時間はあっという間。

病院に戻り輸血が待っています。全ては明日のため。

・・・明日はディズニーシーに!!
念願のミニーちゃんに会いに行きます。

1月19日 ディズニーシー

もともと石川夫妻と旦那くん、ほずみさんが1月にディズニーに行く予定だったので日程を調整してもらい、平日ディズニー。
会社を休んで調整してくれた二人に感謝です。

4人は先に行ってもらい、ほずみさんを楽しませたり、みぃみが到着してスムーズに動けるように事前準備をしてもらいました。

みぃみとおばあちゃんと私はお昼前に着けるように調整し、病院を出発!!

無事に着きました!

カルーセル
ディズニーシーに着くと、みぃみが欲しかったポテトヘッドのポップコーンバスケットを、ねぇねからプレゼント。

「みぃみは、ポテトヘッド、ねぇねはピンク。(アリエル)かわいーからね。」

病院のベッドでiPadを見ながら、事前に選んだポップコーンバスケット。

ミニーちゃんに会うまでに時間があったため、カルーセルに。

「たのしー!」

念願のミニーちゃん
今回のディズニーシーの目的は

「ミニーちゃんに会いたい!」

100% 会えるのは、ディズニーシーのホライズンベイ・レストラン。

急な話だったので、ネット予約が出来なく、現地で予約してはいりました。
先に行って予約してくれた旦那くん達に感謝。

まぁ、実際会ってみるとこの顔ですが・・・(笑)そして、満足したみぃみ。

「じゃ、かえろっか!」

?( ゚ Д゚ )?( ゚ Д゚ )?( ゚ Д゚ )?( ゚ Д゚ )?( ゚ Д゚ )

ほずみさんは勿論、みんなで説得しましたが、きっと、みぃみのよく知らないディズニーシーより、知っている自宅のプラレールのほうが魅力的だったのでしょう。

私とおばあちゃんとみぃみ3人で帰路につきました。

帰宅後
車で昼寝したみぃみ。

家に帰ってきたら遊ぶ遊ぶ。
プラレール、お風呂を挟んでおままごと。。。

この日、数ヶ月ぶりにお風呂に入ったみぃみ。

湯船に浸かり少しすると、びっくりするくらい垢が浮きました。
少しでもキレイに、スッキリして欲しくて足を撫でればポロポロ。お腹を撫でればポロポロ・・・

ばぁばが闘病中に「自宅のお風呂に入りたい」と言ったのをおもいだしました。

外泊の夜
ほずみさんはディズニーシーから少し早めに帰ってきてくれました。

時間は21時過ぎていますが、2人は遊びたくて遊びたくて・・・。特別だよね。

やっぱりおままごと
ねぇねとのおままごとは、やっぱり最高。

1月20日 川の字で朝を迎える

この日はみぃみが寒くないように、リビングに布団を敷いてみんなで寝れました。

「おうちでパパとねる!」の目標も達成です!!

1月は寒いので、ねぇねの「アンパンマン着る毛布」を借りて朝からおままごと。

夕方には輸血のため病院へ戻ります。。。

楽しい時間は残りわずか。

楽しかった時間はあっという間
病院のベッドです。

思い出はすぐ見える場所に!

1月22日 外出、外泊後

白血球がゼロですが、なんとか外出後体調を保っています。

次は水戸!!

「やりたいことはすぐにやってください。サポートします」

先生のそんな言葉が嬉しいような悲しいような。。。

1月24日 水戸へ

みぃみ、念願の水戸。

入院直前に来た水戸。その時に、大切な電車を忘れました。それを取りに来たかったのです。

じぃじもみぃみも笑顔!きっと、ばぁばも笑顔!

みんな来てくれました
はるくん、いつき、ちかちゃん、ひぃばぁ3号、ゆうこちゃん。

ありがとね!

1月25日 水戸の後も

体調は崩さず…こんなに平気なもんなのか??

毎日元気に遊んでいます。

1月28日 手編みのセーター

ゆうこちゃんの手編みのセーターを着て外出。

行き先は桶川サーキット!!

桶川サーキットで
ねぇねと食べまくる(笑)

旦那くんのバイクを見れて大満足。本当は乗りたかった自分のアンパンマンバイク・・・
上手く歩けなくなってきていた為、みぃみ自身が乗ることを諦めました・・・。

・・・なんだろう。。。嫌な予感。

1月29日 予感的中

身体中に赤い斑点…熱は40度超え。。。

体内の酸素濃度も低いため、酸素を吸います。。。頑張れみぃみ!

ミニシューと熱の原因
みぃみが最後にはまったミニシュークリーム。ペロっとひと箱たいらげます。

そして、みぃみの熱の原因がはっきりしました。肺にカビ菌が入ってしまったようです。。。

抗菌剤を始めましたが、効果は期待できないと医師からは告げられます。。。

「白血球が無い中で、抗菌剤を入れるということは、兵士が居ない戦場に武器だけ送り込むようなものなんです。」

急変に心が追いつかない私とみぃみ。

1月30日 高熱→解熱の繰り返し

アセリオ(点滴の解熱剤)のおかげで解熱しているときは元気に遊びます。ホントすごいパワー。

2017年2月 最終章

2月4日 SLは諦めてサーキットへ

最後にお出かけしたのは桶川サーキット。
「パパのバイクみたいから」と。

旦那くんが走行する姿を車の中から見て満足すると、サーキットから自宅へ。

「ほんとはSLもしんかんせんも、のりたかったよー。」と言っていましたが、身体は動けず・・・

2月6日 これが最後の記録です。

サーキットから戻り、自宅でゆっくり。
はるくんやいつきをはじめ、たくさんの友達が来てくれました。
酸素が必須なのでうまく動けないなか、それなりに楽しんだみぃみ。

夜中はずうーっと抱っこを求められた私。
「ママ、二階にいきたい」
「ママ、おふろ見たい」

優れない体調の中、やりたいことはたくさん。

「ママ、・・・みぃみ、びょういんにかえる」

2月5日の明け方、病院に戻りました。

病院の配慮で無菌室からは出して貰って、電車の見える病室へ。

通常、子供は入れない病棟ですが、今回は特別、ほずみさんも入れました。

そうです。みぃみといられる時間も残りわずかと医師が判断したからです。

最後まで、笑顔を絶やさず頑張り続けてくれた、みぃみ。

みぃみの闘病日記はこれが最後です。

2017年2月6日 みぃみは天使になりました。

あとがき

私達がみぃみと一緒にいられた時間はわずか3年と2カ月でした。
でも、この短い時間の中でたくさんのことを伝え、学ばせてくれたみぃみ。

みぃみも患った急性骨髄性白血病も含め、小児がんは治る病気になってきているものの、みぃみのように命を落とす子供たちもたくさんいます。

ねぇねのほずみさんは、レモネードスタンドを開催し、売上を寄付することで小児がんの研究支援を始めました。
「病気の子供がひとりでも多く家族のもとにかえれますように」と、願いを込めて。

旦那くんは骨髄ドナー登録をし、献血も定期的に行くようになりました。
そして今年、ドナーとして骨髄提供もしました。
「みぃみが使った輸血の量は多すぎて全部は返せないけど、すこしでも今病気と闘っている人のために」と、感謝と応援の気持ちを込めて。

おばあちゃんは骨髄ドナー登録の説明員の資格をとり、献血会場でドナー登録を呼びかけ、埼玉県内のドナー数を増やしています。
「なにか、自分にできることをしたいとおもって」と、みぃみへの深い愛情を表して。

じぃじは今までも毎年3回の献血を欠かさず行ってきましたが、65歳以上になっても献血を継続してくれています。

友人たちは「骨髄ドナー登録した!」「献血した!」「地元のレモネードスタンドへ参加した!」など連絡をくれるようになりました。

これらは、ちいさなみぃみが急性骨髄性白血病と闘い 頑張りぬいた結果が生んだ、大きな力だと思います。

いつか、急性骨髄性白血病が100%治る日がくるように。そして、病気に罹る人が減るように・・・。

そう願いを込めて、みぃみの分も笑顔で生きていきたいと思います。

母 たにかわ まりこ

専門医よりみずき君へ

小児がんは年間2,000~2,500人が罹患し、そのうち白血病が最も多く3分の1を占めます。

みずき君が病んだ急性骨髄性白血病は小児白血病の20~25%を占め、最も多い急性リンパ性白血病に比べて治りにくいですが、それでも抗がん剤治療および治りにくいタイプに造血幹細胞移植を行うことで70%以上に治癒が期待できます。

しかしながら、みずき君の白血病は続けて3回の移植治療を行ってもなお、白血病細胞が増えてきており、治すことが極めて困難なタイプだったと思います。

みずき君は3年2カ月の短い生涯でしたが、白血病と闘って精いっぱい生きたことで、ご家族をはじめ周りの人たちに命の大切さを伝えて白血病克服への支援の輪が広がっています。

みずき君が生きた証として確かな足跡を残してくれたことに、感謝と感動を覚えます。

国立病院機構 名古屋医療センター
上席研究員、小児科顧問
堀部 敬三




姉 ほずみさんのインタビュー

瑞騎くんの闘病を、近くで見守っていたほずみさん。病気が治る薬ができる願いを込めて自主的に寄付活動を始めたほずみさんへインタビューをしました。

編集:中島 香織

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