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【連載】急性骨髄性白血病と闘った”みぃみ”の記録~PART.4~

  • [公開日]2019.08.19
  • [最終更新日]2019.10.21

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2016年12月 3度目の移植と環境の変化

12月1日 3歳の誕生日

どんな状況でも誕生日はくるわけで。

たくさんのプレゼントが届いてニコニコのみぃみ。

持ち込めるのは、除菌(拭きとりシート)できるもの。

ブロックや本、電車やおままごと。本当にたくさんのプレゼント。

ベッドの上の生活が明るくなりました!

12月3日 白血球は・・・血小板は・・・

数字は上から
白血球、赤血球、血小板。

相変わらず、移植した私の細胞はみぃみの体内でうまくいってなさそう。
そして、そして血小板が急に減ったので緊急で輸血。

まだまだ、元気いっぱいなみぃみ。

私がちゃんと説明します。「みぃみ、怪我をすると、血が出るよね?今、血を固める力が弱っちゃったみたいなんだよ。だから、今、怪我したら血が止まらなくなって、大変なことになっちゃう。黄色い輸血(血小板)するから、それまでは、走ったらダメだよー」

「はーい!」

そう言ってブロックを始めました。本当に聞き分けの良い子です。

12月9日 母、長期休暇をとる

2回目の移植が決まったとき、会社へ介護休暇をいただきたい旨、お話しました。

なるべく迷惑をかけないように・・・と思い、あらかた引き継ぎも済ませ12月9日が最終出社。

「休みを取って、精一杯頑張ってね。仕事はいつでも出来るから!」そう送り出してくれた先輩、
上司に感謝です。

子供たちへとオモチャまで頂き。。。恵まれた環境に本当に感謝。

私が仕事を休み毎日病院に来る事をみぃみに話すと、本当に喜んでくれました。

1人でここまで頑張ってきたことを褒めてあげたら、テンションが上がり、私がトイレに行っているあいだに就寝(笑)

12月10日 3回目の移植

介護休暇が決まると同時に、先生から話があったのは2回目の移植がうまくいかなかったこと。

「残念ですが、今回も( 私の白血球が) 生着しませんでした。。。」

「みぃみはどうなるんでしょうか。」

「前回の説明で、3回目の移植は出来ませんとお伝えしましたよね?それは、正直に申し上げると3回目の移植をこれだけ短期間に出来る状態の子はいないからです。
強い抗がん剤放射線治療に耐えて、全身状態を維持出来た子はこの病院内にはいません。つまり前例がありません。

・・・ただ、今回は、みずきくんが私達医師が想定する以上に全身状態がよいことから、3回目の移植、臍帯血移植も視野にいれてはどうか?という提案です。」

「3回目の移植で根治する確率は何パーセントでしょう?」

「正直、わかりません。少なくとも10パーセント以下であることは間違いありません。そして、この移植をきっかけに亡くなる可能性は40パーセント。
移植後100日以内に亡くなる可能性は50パーセントです。なので、考え方を変えて、この元気なときにやりたい事をやらせてあげるというのも、ひとつの方法です。」

「移植をしなかった場合、みずきはどのくらいで亡くなりますか?」

「・・・早ければ数週間。もてば数ヶ月です。」

旦那くんと私。
思った事はひとつ。
「移植をお願いします。」

みぃみなら乗り越えられる!!

12月15日 臍帯血移植

3回目の移植。

今回はドナーがO型の男の子。
うまく行けばみぃみはA型からO 型へ。

移植後も少し経つとこの通り。ちゃんと遊べていました!!

母は介護休暇が始まってからは、ほずみさんを保育園に送り出して8時半くらいには病院へ。
その後寝かしつけをして9時くらいに病室をでる生活。

忙しいはずなのに、なんだか充実した毎日です。

12月16日 食事

個人的にはみぃみが3回もの移植を頑張れたのは食べることを諦めなかった事だと思っています。

埼玉県立小児医療センターは食事を個人個人で選択できる仕組みをとっており、その子の状態に合わせてだしてくれました。

素麺、ポテト、イチゴジャムとパン。

移植後は殆んど食べられない子が多い中、半分くらいは口に入るみぃみ。

口内炎ができにくいように、苦い薬も飲み、歯磨きやうがいも決められた通り頑張れたからこそ、食事も美味しく食べられる。

そんな頑張り屋を看護師さんたちが一番褒めてくれました。

12月19日 元気すぎる

点滴、心電図、酸素を測る線…とにかく色々繋がっているのに、走り回るみぃみ。

いつもこんなにぐるぐるに絡まってしまいます。

「みぃくん、またぁ?(笑)」と看護師さんは笑いながら毎日何回も何回も直してくれます。

12月27日 埼玉小児医療センターの移転

蓮田にあった埼玉小児医療センターがさいたま新都心へ移転になりました。

もちろん前から決まっていた事です。

治療が始まった頃には「移転のときには退院して、通院治療だね」と言われていたみぃみ。

それが移植を3回も続けてしている間に、今の病院から新病院へ引っ越しをしなければならなくなりました。

病院側はなるべく移転のときにリスクが少ないよう、患者が外泊や転院できるようにしていましたが、みぃみの場合は治療がうまくいかなかったことが想定外だったらしく・・・。

引っ越しは前々から準備が必要でした。

みぃみが混乱しないように説明を繰り返し繰り返ししました。白血球はゼロ。この状態はリスクだらけですが、無菌室から出るしかない。

蓮田から新病院へは救急車で移動です。

みぃみ1 人に医師と看護師が1人ずつ同行します。親はもちろん同席できず、ひやひやしながら面会時間まで待つことになりました。

新病院の無菌室に行くと元気いっぱいのみぃみが。

「マーマー!ママがいったのまちがってたよ。きゅうきゅうしゃまでは、せんせいのだっこじゃなくて、ベットだったー。」

しっかり私の話しを聞いてくれていた証拠。

同行してくれた先生からも「とてもいい子だったし、本人は楽しんでました」と言ってもらえました。

新しい環境でまたスタート。

12月29日 移転後も

変わらずでした。

黙々とブロックであそんだり、YouTube みたり。

YouTubeは、カバがスイカを食べるとこ。ちびまる子ちゃんの実写版。アンパンマン。仮面ライダーエグゼイド。

2016年も最後。この頃からiPadを私も上手に活用するようになり、みぃみが欲しいお菓子をiPadで選ばせ、下のコンビニに買いに行くようになりました。

文:たにかわ まりこ

〜PART.5に続く〜

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姉 ほずみさんのインタビュー

瑞騎くんの闘病を、近くで見守っていたほずみさん。病気が治る薬ができる願いを込めて自主的に寄付活動を始めたほずみさんへインタビューをしました。


編集:中島 香織

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この記事に利益相反はありません。

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