佐々木 朱実さんのご主人である佐々木 能実さんは、42歳の時に末梢性T細胞リンパ腫の診断を受けました。
「日本にあなたの病気を治せる薬はありません」。
診断当時、能実さんが医師から告げられ言葉です。
それでも、能実さんは諦めることなく、最後まで闘い続けました。
能実さんをそばで支えた妻の朱実さんのお話を、オンコロスタッフ大内が伺いました。
目次
3カ月続いた40度の高熱
大内:佐々木さんは北海道にお住まいなんですね。
北海道のどちらですか。
佐々木:帯広です。
大内:帯広なんですね。
私は北海道の根室出身です。
同じ道東ですね。
なんだか嬉しいです。
さて、さっそく本題に移ります。
ご主人ががんと診断されたのは、いつ頃ですか。
佐々木:2012年頃、主人が42歳の時に、末梢性T細胞リンパ腫の診断を受けました。
大内:末梢性T細胞リンパ腫と診断されるまでの経緯を教えていただけますか。
佐々木:はじめは発熱、食欲不振といった風邪に似た症状がありました。
近所の病院を2件ほど受診しましたが、「恐らく風邪でしょう」と言われました。
市販薬を飲むと症状が治まったので、しばらくは様子を見ていましたが、薬の効果が切れると症状が戻り、一向に改善されません。
空咳が出るようになったため、呼吸器科を受診しましたが、CTの結果でリンパ節の腫れを認めたため、血液内科を紹介されました。
紹介先の血液内科では、「悪性リンパ腫の可能性がありますが、生検をしないとはっきりしたことは言えません」と言われました。
主人の症状はますます悪化し、40度の高熱が続いていましたが、病院のベッドが埋まっていて、すぐに入院することが出来ません。
症状が出始めて半年ほど経ったころ、やっと入院することが出来ました。
主人は3カ月もの間、40度の高熱に耐えてきました。
もともと、主人の心臓には良性の腫瘍があり、29歳の時に腫瘍の摘出手術を受けています。
そして、摘出手術の数年後には、ペースメーカーを入れています。
入院するまでの間、強力な解熱剤を使い続けたので、主人の心臓には相当な負担がかかっていたと思います。
大内:入院するまでそんなに時間がかかったのですね。
佐々木:はい。
ずっとベッドが埋まっていました。
道東は、血液内科が少ないのです。
主人の入院した病院には、帯広だけではなく、根室や釧路からも患者さんが来ているそうです。
大内:そうなんですね。
確かに、根室は道内の中心地から遠いため病院が少なく、2時間以上かけて他の市まで通院している人が多くいますね。
たった2か月での再発
大内:入院してからの治療内容を教えていただけますか。
佐々木:2013年3月から6月まで、入院と外来でCHOP療法を行いました。
大内:CHOP療法は効果がありましたか。
佐々木:はじめは効果があり症状が落ち着きましたが、すぐに再発しました。
6月にCHOP療法を終了し、2か月後の8月には発熱や寝汗といった症状が出てしまいました。
「日本にあなたの病気を治せる薬はありません」。
もともと、主治医からこのように言われていましたが、こんなに早く再発するとは思いもしませんでした。
とくに汗がひどく、主人が着ていたシャツを絞るとたくさん汗が出ました。
普通に寝ているだけでも、汗で布団がびしょびしょになるため、一日に何度もバスタオルを取り換えましたね。
大内:再発後はどのような治療をされましたか。
佐々木:GDP療法を行いました。
夫の血管は、CHOP療法によってダメージを受けていたので、CVポートを埋め込み、2013年10月から2014年3月までGDP療法を行いました。
あきらめずに続けた治療
大内:末梢性T細胞リンパ腫は、一次治療としてCHOP療法を選択されることが多いですが、標準的な治療法が十分確立されていないため、治験の参加が推奨されているようですね。
主治医の先生から治験の話はありましたか。
佐々木:はい。
札幌の病院で行われている治験を紹介してもらいました。
主人は札幌まで通院することを決意し、治験参加の手続きを主治医に進めもらいましたが、結局ペースメーカーが入っていたため、治験には参加出来ませんでした。
大内:それは、残念でしたね。
佐々木:それでも、数年後にその治験薬が承認されたので、薬を使うことが出来たんですよ。
大内:そうなんですね!それは良かったです。
確かに、ここ数年で末梢性T細胞リンパ腫に対して、新薬がいくつか承認されていますね。
佐々木:夫はGDP療法を終えたあと、DeVIC療法、CHASE療法を行いました。
その後、新たに承認された分子標的薬や、ロミデプシンという新しい抗がん剤を使用しました。
大内:色々な治療に挑戦されたのですね。
佐々木:新薬を使い果たしてしまった後は、過去に使用して効果があった治療法(DeVIC療法)を再び行うことになりました。
DeVIC療法の治療中に、主人は敗血症になり、一時は重篤な状態に陥りましたが、処置が早かったため、一命をとりとめることが出来ました。
その後は、しばらく休薬した後に、治療を再開しました。
主治医は、主人のためにとても熱心に治療法を調べてくださいました。
既存の治療法から一種類薬を減らしてみたりと、主治医が色々工夫してくれたおかげで、その後も治療を継続することが出来ました。
大内:敗血症という大変な状況に陥った後も、ご主人はあきらめずに治療を続けられたのですね。
佐々木:そうですね。
緩和治療をすすめられたこともありましたが、夫はがんと闘うことを選びました。
2013年から治療をはじめて、亡くなる2020年1月まで、7年間あきらめずに治療を続けました。
※治療中、旅行先での1枚。薬の副作用でムーンフェイスに。
副作用
大内:化学療法の副作用はどうでしたか。
佐々木:脱毛や味覚障害といった副作用がありましたが、食事はとれたほうだと思います。
吐き気止めを使ったおかげもあり、ひどく吐くようなことはありませんでした。
しかし、味覚障害があり、味が感じられなかったせいで、極端に甘いものや、しょっぱくて味の濃いものを食べていました。
CHOP療法では、ラー油のような色をした薬を投薬していたので、主人は治療後ラー油をくちにできなくなりました。
大内:そんなことがあったのですね。
佐々木:また、無菌室に入って治療をしているときに、ムコールというカビに感染してしまい、肺ムコール症を発症しました。
肺ムコール症を完治させるには、肺を摘出するしかないと言われましたが、心臓に負担がかかることや、肺を摘出してもムコール症が再発する可能性があることを考え、手術ではなく点滴治療を選びました。
ムコール症の点滴のため、一年間、平日は毎日通院しました。
点滴に半日かかるので、毎日大変でしたが、一年間治療を続け、検査ではカビが見えなくなりました。
大内:一年間、ご主人も朱実さんも毎日大変でしたね。
同じ病気の患者さんに主人が伝えたこと
大内:ご主人が入院していた病院には、同じ病気の患者さんはいらっしゃいましたか。
佐々木:3回目の入院の時だった思います。
末梢性T細胞リンパ腫の患者さんが、同じ病室に入院してきましたが、その方は治療を拒否して、治療途中で退院してしまいました。
後日、外来でたまたまその患者さんに会いました。
主人は「治療を受けないと生きられないこと」、「自分はたくさん治療を行ってきたから、今こうして生きていられること」を、その患者さんに伝えました。
それがきっかけで、その患者さんは治療を受ける決心をされたそうです。
大内:ご主人の励ましによって、その方は治療を受ける決心をされたんですね。
佐々木:はい。
しかし、治療の副作用に耐えられず、その方は亡くなってしまいました。
主人は、自分が治療をすすめていなければ、もう少し長く生きられたのではないかと、後悔していました。
大内:でも、治療を拒否していた患者さんが、ご主人の励ましのおかげで、前向きに治療に臨むことが出来たことは、良いことだと思います。
佐々木:そうですね。
主治医にも、そのように言われました。
がん患者さんに伝えたいこと
大内:がん患者さんに伝えたいことはありますか。
佐々木:毎日少しでもいいので、好きなことをやって、美味しいものを食べて、一日一日を楽しく生活してほしいです。
主人は「がん」を他人事のように考えていて、あまり深く考えないようにしていると言いました。
精神科から薬をもらってはいたものの、主人の鬱がひどく悪化することはありませんでしたので、他人事のように考えることが大事だと思います。
新しい薬はどんどん開発されています。
主人は新薬で命をつなぐことが出来たので、みなさんも諦めないでください。
「病気に負けたくない」。
そう言って、主人は最後まで闘い続けたのです。
この記事に利益相反はありません。