今回の「オンコロな人」は、以前「オンコロな人」に登場した若年性がん体験者の濱中真帆(はまなか まほ)がお届けします。
※濱中真帆さんの体験談はこちらから
目次
■夫が神経内分泌腫瘍に
濱中:こんにちは。卵巣がん体験者の濱中真帆です。今回はがん患者さんのご遺族の方にお話しを伺います。まずは自己紹介をお願いできますか。
福岡:福岡奈津美(ふくおか なつみ)です。現在48歳です。現在はIT関係の会社で働いています。夫が神経内分泌腫瘍になりました。
■「熱が出てきたから帰る」
濱中:旦那さんにがんが見つかったときの経緯を教えてください。
福岡:2012年の1月、ある日朝起きたときに「熱っぽい、肋骨の下あたりが痛い」と夫が言っていて、時期も時期なので「インフルエンザじゃないの?」と話していまして、その日はお互い仕事に行きました。お昼前くらいに夫から「熱が出てきたから帰る」というメールが来て、私もなるべく早く帰る、と返事をしました。帰宅後、インフルエンザかもしれないから病院へ行こう、と近所の診療所へ行きまして、病院でも「インフルエンザでしょう」と診断され、インフルエンザの薬と解熱剤を処方されました。しかし、インフルエンザの検査は陰性で、その後3日間は39度の熱も下がらず、これはおかしいと思って近所の病院へ行きました。日曜日だったこともあり、改めて月曜日に来てください、と言われ、月曜日に胸のレントゲンとCTと血液検査をしました。その結果、CTで肝臓に腫瘍が写っており、大きな病院へ紹介され、改めて血液検査をした際にわかりました。
■まさか病気だとは思っていなくて
濱中:旦那さんががんと言われたときはどうでしたか?
福岡:夫の病院にずっと付き添っていました。私の父が白血病亡くなっていて、母は看護助手として働いており、医療に関してはある程度の知識を持っていたこともあってCTの画像を見てこれは・・・と思いました。まさかがんだとは思っていなくインフルエンザだと思っていたので、告知されたときは信じられず、受け入れるのに少し時間がかかりました。
■なるべく良い生活を長く続けられるように
濱中:がんだと告知を受けたことをどなたかに相談したりしましたか?
福岡:近所に私の妹一家が住んでいて、いろいろと協力してもらうことになると思ったのでまず連絡しました。その後、夫の兄弟へ連絡しました。相手にあまり心配を掛けたくないのもあって、淡々と伝えました。神経内分泌腫瘍は、進行はゆっくりだよ、と主治医に言われていたので、なるべく良い生活を長く続けられるように、と考えていました。
■今までどおりの生活を今までどおり送れるように
濱中:家族として患者さんを支える立場でのお話を聞かせてください。
福岡:夫も、自分のせいで私が何かを犠牲にすることは好んでいなかったと思うので、なるべく今までどおり生活を今までどおりに送れるように、というのを一番気をつけていました。会社に話をして早く帰らせてもらったりはしていましたが、フルタイムで仕事は続けていました。
がんが進行している状態だったので治療できないかも、と思っていましたが、主治医の先生から「諦めないで」と言われました。治療では腹腔鏡で原発の大腸を切除し、肝臓は塞栓術を受けたところ症状がおさまり、半年や1年は普通に生活が出来ました。骨や頭に転移してからは治療がきつくなってきて放射線の内部照射・外部照射などの治療をしていましたが、だんだんひとりで生活することが厳しくなっていきました。亡くなる2~3ヶ月前には介護保険も利用しており、訪問看護師の方に来ていただいて、お世話をしていただいていました。
■保険外の治療をする余裕はなかった
濱中:お金の面など不安なことはありましたか?
福岡:限度額認定の申請をしていました。生命保険は医療保険が切れていたのでもらっていませんでした。ただ、私が仕事を出来ていたこと、貯金があったこともあり、そんなに苦労はしなかったです。それでも、保険外の治療をする余裕はなかったです。それは本人も望んではいませんでしたが。
■「長い付き合いだし、最後まで看取らせてほしい。」
濱中:闘病生活を振り返って、感謝したい方はいらっしゃいますか?
福岡:支えてもらった家族、親戚はもちろんですが、なんと言っても主治医の先生です。「長い付き合いだし、最後まで看取らせてほしい。」と言ってくださり、3ヶ月を過ぎても病院を追い出されることなく最後までみてくださいました。
■一人の人が病気になったとしてもやっていけるような
濱中:国や医療に対して何かご意見はありますか?
福岡:私たちは、今の国の医療や保険の中で十分やっていけましたが、やっていけない人もいると思います。がんは闘病生活が長くなるので、それを支えていけるような仕組みが出来ればいいな、と思います。一人の人が病気になったとしてもやっていけるような援助や体制を整えてほしいな、と思います。
■まだ考えられない
濱中:現在、何か目標はありますか?
福岡:夫が亡くなってもうすぐ2年になります。闘病していたときって夫が最優先で、ほかの事は何もかも後回しにしていました。それが無くなってしまって、この先どうしようか、というのはまだ考えられていないです。
■最後どうなるのか、を知っておいたほうがいい
濱中:最後に、このインタビューを読んでくださっている方に伝えたいことはありますか?
福岡:「看取ること」って、経験したくて出来ることじゃなくて、経験したくなくても経験することだと思います。日本の社会では表に出てくることはあまりないですが人は最後どうなるのか、というのを知っておいたほうがいいと思います。それは、本人はもちろん、周りにいる人もどうしたらいいのかわからなくてオロオロしちゃうと思います。特にがんの場合、強い薬を使うと幻覚や幻聴、ぼーっとしてしまうこともあるので、そういう状況になるんだよ、というのをみんなで覚悟する、というのを知っておくのが大切だと思います。
濱中: ブログのお話もお聞かせいただけますか?
福岡:最初の方は闘病のこと、神経内分泌腫瘍のことを書いていました。最初にその病気のことを調べても何の病気なのか全くわからなくて、お薬のことを調べたり、海外の治験のことを調べたり、海外のサイトを見に行ったこともありました。家族を亡くした後ってどうなるの?と思っている人がいるかもしれませんし、私たちと同じように神経内分泌腫瘍って何?と思う方がいるかもしれません。そんなときに検索して上位に出てくるよう、更新をし続けています。
★希少ガン、NetCancer
http://ameblo.jp/net-cancer/
■インタビュー後記
今回は、がん患者さんのご遺族である福岡さんへお話を伺いました。インタビューをした私自身も22歳で父を亡くし、まだ1年程しか経っていなかったこともあり、支える立場としての想いを伺いつつ、私自身も支える立場であった時のことを少しお話させていただきました。お金のこと、保険のこと、看取ること、お葬式のこと、健康で普通に生活をしていたら話す機会の無いことをいろいろとお話させていただきました。
私は「看取る」ということを知らないまま、父を亡くしました。福岡さんがおっしゃっていた通り、どうしたらいいのかもわからず、手が止まってしまったときもありました。人が亡くなるというのは悲しいことですが、「人が亡くなるということを残された人に伝える」ということは、人として最後のひと仕事であるのだと、このインタビューを通して感じました。
福岡さん、貴重なお話をありがとうございました。