1月21日、大阪市にてNPO法人近畿がん推進ネットワーク主催の「がん患者・家族に必要な支援とは」と題した、医療者向けのセミナーが開催され、がん患者、医療者であると同時にがん患者・がん患者家族といった演者が講演した。
目次
呼吸器内科医が縦隔腫瘍になって気づいたこと、感じたこと
JCHO東京新宿メディカルセンター内科医長である清水秀文さんは、2011年、36歳の時に縦隔原発肺細胞腫瘍に罹患。始めに気付いたのは呼吸器内科医である清水さん本人、その時、妻は妊娠中であった。縦隔腫瘍の5年生存率は45%。それでも、2種類の化学療法と手術を施行してから6年弱が経過した。
医師ががんとなった時のメリットとして「情報の判断ができること」「(自分の)環境の変化が最小限であること」「ロールモデルの存在(自分の診てきた患者に見習う)」「身近に死があったこと」と話した。中でも、情報の判断ができることのメリットは大きく、今後は医師から患者への情報提供手段を検討しなければならないと話した。
更に、医療行為に対する同意書が多いことが気になったとのこと。診断されたから治療開始するまでに9つもあり、統合するハードルは高いが患者目線で考えると必要ではないかと訴えた。
20代オストメイトになって気づいたこと、感じたこと
21歳、大学在学中に横紋筋肉腫に罹患した関口陽介さんは、治療の際に人工肛門・人口膀胱を増設し、3つのストーマを持つ。2016年には博士号を取得し、現在は仕事の傍ら、がん患者やオストメイトの実態を発信するとともに、オストメイトのQOL向上に取り組んでいる。
そんな関口さんは、自分だってオストメイトという言葉は知らなかったので、一般の方がオスメイトのことを知ることは当然難しいことに言及した上で、医療者であれば、当然、オストメイトに詳しい人であってほしいと訴えた。
更に、オストメイトとなり影響を受けるものは「食事、服装、学校生活、人間関係、トイレのこと、運動」「病気・障害を理由にした不当な扱い(温泉などへの拒否)」「経済的困窮(収入減、治療費増のダブルパンチ)」などをあげ、対処方法は1つではないが、世間の多数派の意識を変えることが大きなカギであると思うと話した。
AYA世代のがん患者を通して気づいたこと、感じたこと
16歳のときに、卵巣原発の未分化胚細胞性腫瘍に罹患した濱中 真帆さん。現在、「患者さんの気持ちが誰よりわかる医療ソーシャルワーカー」を目指し専門学校に在学している。その一方、チャリティーイベントRock Beats Cancerなどを手掛ける樋口宗孝がん研究基金にて、音楽を通してAYA世代のがんを周知するために活動している。
「AYA(アヤ)」とはAdolescent and Young Adultの略で思春期・若年成人(15歳~39歳)のことで、日本では毎年5,000人のAYA世代の若者が、がんに罹患している。
「進学してもちゃんと学校通えるのかな?」「治療が終わっても学校戻っても知っている人いないのでは?」「就職しても周りと同じよう働けるのかな」。AYA世代特有の就学、就職、恋愛、結婚、出産、孤独感など悩みを経験した真帆さん。「院内学級は中学校までと言われた」など、病院側が十分にAYA世代がんに対応できない問題点も指摘した。
それでも「がんになってよかった」「がんになったからこそ目標ができた」「一方、がんであることを人に伝えにくい」「ふとした瞬間にがんであったことを自覚する」様々な思いがどよめく中「それでも今が人生で一番楽しい」という彼女の言葉は力強かった。
がん患者の家族として気づいたこと、感じたこと
神戸大学医学部附属病院 腫瘍・血液内科 助教の清田 尚臣さんは、昨年開催された第14回日本臨床腫瘍学会学術集会(JSMO2016)の事務局長に従事された中、実父を胆嚢がん、義父を急性骨髄性白血病で亡くされた。義父はコンプライアンスが高く(医療指導を遵守する患者)、一方、実父は医療コンプライアンスが低い患者であったとのこと。
血液・腫瘍内科医として毎日患者と向き合うが、近い家族として患者と向き合うのは初めての経験であったとのこと。その中で、感じたことは「家族ってこんなにエモーショナルか?」ということと「理解することと、受容することは別」であるということ。
主治医に代わりできる限りの説明はした。それでも知りたいことがたくさんあった。そして、そのときは理解するが、また、時間がたつと受け入れられないことに気づく。
「医療者は(患者の)病状理解に対する医療側の幻想がある」と話し、「病状説明はできる限り時間をかけて」「情報は能動的に提供しなければならない」と訴える一方、時間がない中でどういった形で実現するかが課題であると語った。
肝臓がんを経験して医療者に伝えたいこと
大学在学時、19歳で肝細胞がんが発覚した山下 弘子さんは、アフラックのCMで櫻井 翔さんとも共演するなどメディア露出が高いがんサバイバー。
そんな彼女は、標準療法であるソラフェニブ(ネクサバール)は1年経過せずに使えなくなったが、自分で様々な治療を調べ、治験などに参加をしながら、4年経過した今もステージ4の肝細胞がんと闘う。現在は、保険適応外のレンバチニブ(レンビマ)を自由診療として使用しているとのこと。
そんな彼女は25分も何も見ずに「理解と受容はズレること」「ネガティブのことを占める割合が緩徐してくこと」「一番悲しいときは家族に言えないため、医療関係者が支えになってくれていること」「チーム医療の一端として患者が参画していかなければならないこと」「医師はセカンドオピニオンを勧めるべき」「治験情報があまりにも知られていないこと」「拡大治験や患者申し出制度を広めなければならないこと」など様々なことを語った。
印象的だったのは「標準治療がなくなった場合の選択肢について」である。「医師はエビデンスが乏しい」とか「安全かどうかが確立していない」とかではなく、患者からするともっと具体的な情報が欲しいと・・・これは、非常に難しいテーマとなる。
もう一つ印象的だったのは、彼女は医療者にとても感謝しているということだ。医療者向けの講演であったためか要望こそ多いが、「治験薬が効かなくなったときも、治験コーディネーターが泣いている私のずっとそばで背中をさすってくれた」など、終始感謝の言葉は尽きなかった。
もっと患者のことを知る必要がある ~医療者が患者の講演に参加することの大切さ~
今回のセミナー主催であるNPO法人近畿がん診療推進ネットワーク理事長(近畿大学医学部内科学腫瘍内科部門教授)である中川 和彦氏は「医療者はどこかで患者さんをおそれている。何もできないかもしれないという私たちの状況に恐れている。その恐れがコミニュケーションを断絶する」「家族と患者との間とのコミニュケーションの難しさを色々な方が話されたが、我々と患者さんの間にもそれと似たような状態が起きている」「それを如何に取り除くかは、患者さんのことをもっと知ることが必要である」「もっそ知るという循環を良い方向にして、おそれを取り除くことにチャレンジしていかなければならない」と結んだ。
記事:可知 健太
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