「ゆりかごから墓場まで」これは第2次世界大戦後のイギリスが、社会福祉政策を推進するために出したスローガンである。このスローガンの意味は、生まれた時から死ぬまで生涯に渡り、その人の生活を社会が保障することである。ここまで保障範囲は広くはないものの、生後4ヶ月の子供から76歳の大人まで年齢に関係なく抗腫瘍効果が期待できる世界初の経口分子標的薬が開発中である。
さらに驚くべきことは、既存の抗がん剤、分子標的治療薬ががんの発生した部位別に抗腫瘍効果を発揮するのに対して、この経口分子標的薬は肺がんから大腸がんまで臓器横断的に効果が期待できるのだ。聖域なき抗腫瘍効果とは、まさにこのことだ。
この経口分子標的薬の治療効果が年齢にもがん種にも関係なく効果が期待できる理由は、ただ1つ。TRK遺伝子とその他の遺伝子が融合したときに生じる遺伝子異常の産物であるTRK融合蛋白質を選択的に阻害する作用機序を持つからである。そう、この薬の名はラロトレクチニブ(LOXO-101)である*。
*正確にはNTRK1、NTRK2、NTRK3を阻害する。
ラロトレクチニブが標的とするTRK融合遺伝子の異常は肺がん、胃がん、大腸がんなど発症率が高いがん種の約0.5%~1%の患者に発現し、唾液腺がんMASC、乳児性線維肉腫など発症が稀ながん種の90%の患者に発現していると報告されている。
TRK融合遺伝子異常を持つ国内の患者数は不明だが、日本の約2.5倍の人口を有する米国での患者数は1500~5000人と推定され、決して多くはない。それだけに、米国臨床腫瘍学会(ASCO2017)で公表されたラロトレクチニブに関する報告は55人程度の少数例報告ではあるが、TRK融合遺伝子を持つ患者に対するラロトレクチニブの効果の再現性が期待できるであろう。
奏効率76%、17がん種 生後4か月から76歳の患者が参加した臨床試験
メモリアル・スローン・ケタリング癌センターのDavid Hyman氏より報告されて研究では、TRK融合遺伝子異常を有する生後4ヶ月から76歳*の17種の進行固形がん患者55人に対してラロトレクチニブ 1回100mgを1日2回経口投与した試験(NAVIGATE;NCT02576431)の報告である。
*2歳未満:6名(11%)、2歳~5歳:5名(9%)、6歳~15歳:1名(2%)、15歳~39歳:12名(22%)、40歳以上31名(56%)
この試験の主要評価項目は全奏効率(ORR)、副次評価項目は奏効期間(DOR)、無増悪生存期間(PFS)、そして安全性を設定している。患者背景としては、年齢中央値が45歳、PSは1から2が49人(90%)、前治療歴は0から1回が30人(55%)、中枢神経系に転移ありの患者が1人(2%)含まれている。
この試験の結果は、抗腫瘍効果を測定できた50人中38人(76%)の患者で主要評価項目である全奏効(ORR)を達成し、その内6人(12%)が完全奏効(CR)を達成するという驚異的なものであった。
また、副次評価項目である奏効期間(DOR)は未到達であったが、ラロトレクチニブ投与から1年間を超えてもその抗腫瘍効果が79%の患者で持続していたことからも奏効期間の長さに期待できる。奏効期間(DOR)と同様に未到達であった無増悪生存期間(PFS)と併せ、本研究の今後の追跡解析の結果が楽しみである。
驚くべきことはラロトレクチニブが年齢、癌種に関係なく高い抗腫瘍効果を発揮しただけでなくその安全性である。ラロトレクチニブで発症する主な副作用は倦怠感と目眩であったが、グレード3以上に至った倦怠感と目眩を発症した患者はそれぞれ1人(2%)と、平衡感覚の働きを持つTRKを選択的に阻害するラロトレクチニブの作用機序を考えれば想定の範囲内の副作用ではあった。倦怠感と目眩以外にも、吐気、嘔吐、貧血、AST上昇、ALT上昇、便秘、下痢、咳、呼吸困難などの副作用を発症している。
また、ラロトレクチニブを投与した後に減量した患者は7人(13%)いたが、副作用によりラロトレクチニブによる治療を断念した患者が1人もいなかった。抗がん剤と比較して副作用が少ないように創薬設計されている分子標的治療薬ではあるが、この結果からも他の分子標的治療薬以上にラロトレクチニブの標的に対する高い選択性が伺える。
更に、ラロトレクチニブを使用し続けることにより、TRKA G595R遺伝子変異、TRKC G623R遺伝子変異といった2次遺伝子変異により、薬剤耐性を獲得する機序も存在するが、既にラロトレクチニブ耐性獲得に効果を発揮できるように設計された第二世代TRK阻害薬であるLOXO-195の初期臨床試験がスタートしていることも期待される。
以上のように、ラロトレクチニブは年齢、がん種の垣根を超え、遺伝子の異常を標的とした世界初の経口分子標的薬である。患者の遺伝子レベルで最適な治療方法を分析、選択し、医療を施すことをプレシジョン・メディシン(精密医療)と呼ぶが、ラロトレクチニブはプレシジョン・メディシンの代名詞と言っても過言ではない。
元々、ラロトレクチニブが標的とするTRK融合蛋白質を創りだすTRK融合遺伝子は、1982年に大腸がんで発見されていたが、当時の遺伝子解析技術ではTRK融合遺伝子変異を正確に発見できるまで進歩していなかったため、創薬実現まで至らなかったのだ。
しかし、現在は次世代シーケンサー(NGS)をはじめ、患者の遺伝子レベルを正確に迅速に解析できる技術がある。ラロトレクチニブのように年齢、がん種に囚われないがんの治療薬が、がん細胞を増殖させる原因となる新しい遺伝子変異と伴に今後も次々と発見されていくに違いない。
なお、NAVIGATE試験はGI-SCREEN-JAPANのホームページに掲載されており、日本でも実施予定である。
記事:山田 創 & 可知 健太
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