今回の「オンコロな人」は、以前「オンコロな人」に登場した若年性がん体験者の濱中真帆(はまなか まほ)がお届けします。
※濱中真帆さんの体験談はこちらから https://oncolo.jp/report/human12
目次
■36歳で精巣腫瘍に
濱中:こんにちは。卵巣がん体験者の濱中真帆です。本日はよろしくお願いいたします。まずは自己紹介をお願いできますか。
永江:永江 耕治(ながえ こうじ)です。現在42歳で、IT系の企業の人事で働いています。2010年8月、36歳のときに精巣腫瘍が発覚しました。
■仕事に戻るつもりだった
濱中:なぜ精巣腫瘍が見つかったのか、経緯を教えてください。
永江: 運動不足を解消したいと思い、やったことの無かったトライアスロンに挑戦しようと大会へ申し込みました。競技用の自転車を買い、2~3時間かけて自宅まで帰ったのですが、サドルが硬かったせいなのか、睾丸の辺りの鈍痛が2~3日続きました。痛みが引かなかったことが気になり病院へ行ったところ、念のためということで検査をしました。1週間後、検査結果を聞いたその日のうちに手術をすることになりました。
■妻と子供を残して死ねないと思った
濱中:がんの告知を受けた時はどんなことを思いましたか?
永江:やばいな、とは思いつつも、意外と冷静でした。死ぬかもしれない、とは思いました。その日の午後には手術だったため限られた時間で何をしなくちゃいけないのか、そのことで頭がいっぱいで、「怖いな」「どうしよう」と思う間もなく手術台に乗っていました。
死ぬかもしれないな、とは思いましたが、自分のことよりも、家族のことが気になっていて、当時まだ子供が3歳で、妻と子供を残して死ねないとその時思いました。
■「あとはよろしく」
濱中:がんだと告知を受けたことをどなたかに相談したりしましたか?
永江:時間的にも相談はできませんでした。当時妻はフライトアテンダントをしていて、すぐに連絡を取ることは出来ませんでしたが、終わって目が覚めたらいました。
会社は仕事の引継ぎをしなくてはならなかったので「がんになっちゃいました」という話をして、後任を誰に、この仕事が出来る人はこの人で、と数人と話して決めた後「あとはよろしく」くらいしか伝えられなかったです。
■生活が一変したような感覚
濱中:どのような治療をしましたか?
永江:まず、手術をしました。痛いは痛かったですが、その後の抗がん剤に比べれば耐えられる痛さで、元気は元気でした。いつもだったら慌しく仕事に行く時間に目が覚めて、病室でいろんなものに繋がれていて、生活が一変したような感覚がしました。
濱中: その後の抗がん剤治療はどうでしたか?
永江:手術後は退院し、検査結果を待ってから抗がん剤治療が必要かどうか判断、ということで、その合間に体験談を読んだりしていました。精巣腫瘍はBEP療法で、こういう順番で、こういうサイクルで薬を投与されていって、こういう治療になるんだ、という心構えはある程度ありました。ただ、読んだのが昔の体験談だったので、吐いたり、辛そうだったり、という表現があり、「自分もそうなるのかな」という怖さはありました。実際は、思っていた以上に吐き気はなかったです。しかし、経験をしてみないとわからない倦怠感、味覚障害が起きたときには「辛いな」と思ったこともありました。
■長期化していたら・・・
濱中:奥さんもお子さんもいらっしゃる永江さんですが、お金の面など不安なことはありましたか?
永江:がん保険や医療保険に入っていたので、仕事は半年休みましたが困りはしなかったです。休んでる間も傷病手当金も出ていたので、収入が無かったわけでもなかったのですが、もっともっと長期化していたら大変だっただろうなーと思います。
■やりくりが大変だったと思う。
濱中:闘病生活を振り返って、感謝したい方はいらっしゃいますか?
永江: 一番苦労を掛けたなって思っているので妻には感謝しています。子供が小さかったのに仕事が不規則で、そこのやりくりが大変だったと思います。それでも時間のあるときには病院へ来てくれて身の回りの世話をしてくれていました。
■「がんになる前より、がんになった後のほうが人生をよりよくすることだって出来る」
濱中:現在、何か目標はありますか?
永江: 入院中に読んでいた本で「がんになる前より、がんになった後のほうが人生をよりよくすることだって出来る」と言っていた人がいて、それにすごく励まされました。「何でこんな大変な思いをしなくちゃいけないんだ」って思うのは自然なことだと思いますが、がんになった後の方が良いって言っている人がいるなら自分にだって出来るんじゃないかなって思ったんです。それを自ら伝えて生きたい、心に秘めておくだけじゃなくて伝えて生きたいと思って、リアルタイムにTwitter投稿していました。それを見た方から「がんになっても元気にしている姿がすごく励みになります。」って言ってもらえて、やっぱりそうなんだなって思ったことがあります。毎日忙しくて大変ではありますが、今は充実している、ということを伝えていけたらな、と思っています。
★『僕が精巣がんになってから社会復帰するまで』http://matome.naver.jp/odai/2135492963023883901
■がんになっても活躍している人がそれなりにいるという事実
濱中:最後に、このインタビューを読んでくださっている方に伝えたいことはありますか?
永江: がんになった後でも人生をより楽しむことだって出来る人もいる、ということは伝えていけるといいなと思います。ただ、がんになったって絶対楽しく出来るか、それは100%そうだとはいえないとも思っています。がん=死というイメージが昔に比べて変わってきていると思いますが、がんになったことを言いづらい面もあると思います。がんになっても活躍している人がそれなりにいるという事実を作ることが大切だと思っています。でも、がんになった人みんなが公表するべき、と思っているわけでもないです。よりフェアな目でみんなが見ていけるように、普通の人が普通にそういうことをしているのだと認知されていくのがいいんじゃないかなと思います。
濱中:今日はお忙しい中ご協力ありがとうございました。
■インタビュー後記
がんと診断された時、人は様々なことを考えます。今すぐ何をしなくちゃいけないのか、何から手をつけたらいいのか、入院や治療までの時間がほとんど無い中、真っ白になった頭をフル回転させて様々なことをこなしていきます。永江さんのお話の中での「何かを思う前に手術台にいた」という経験は私自身もあり、悩む時間も無い反面、事実を受け入れる時間も無いまま治療と向き合わなくてはならないのだと思ったことを思い出しました。
この活動を通し、がんになったことを言い辛い社会を変えて生きたいと、改めて思ったインタビューでした。
濱中 真帆